
松江での「異界とつなぐ八雲の怪談~能と琵琶と語りと」は無事終了しました。
松江に行くは初めてでしたが、さすが城下町だけあって華やかさがあり、またちょっとディープな繁華街などもあり、しっかり楽しんできました。私は今回も相変わらず陸路で、岡山から「特急やくも」に乗って行きましたが、川沿いを走るローカル線は景色も風情も気持ち良かったです。
小泉八雲記念館前
講演では小泉八雲の曾孫でもある小泉凡さんが、ゲストとして興味深いお話をしてくれました。その中で「周縁性」というキーワードに、とても興味を持ちました。八雲自身がギリシャ系アイルランド人であり、後に日本に帰化していますので、当時の欧米中心の世界にあっては正に周縁に居た訳です。アメリカ在住の時にはクレオール文化などにも触れて、かなりマニアックな世界に浸っていましたし、日本の中でも松江や熊本、東京西大久保など当時としては都会の中心から外れた所に住み、その作品にも琵琶法師など社会的周縁性を持ったものや人を描いています。八雲の作品は「サウンドスケープ~耳の文学」といわれ、耳を駆使して描写をしました。その対象は松江などの風景もありますが、歴史の表舞台には出ないものや、周縁にあるものにも眼差しを向けていました。そしてその周縁の響きは日本の原風景として、この現代に甦って来ているように思います。

どんな分野でもそうですが、中心に居ると視野が狭くなってしまうものです。音楽の歴史を次世代へと紡いで行ったのは皆周縁の人達です。少し離れているからこそ見えてくるのは、社会でも芸術でも同じではないでしょうか。
それは自分の中に対しても言えることです。ベテランになるにつれ、その経験則で周りを見てしまいがちで、周辺に視野が届かなくなってしまうのです。自分のやってきたものはいわば自分の真ん中。経験も自信もあるだけに、そこに居座ると自分の持っている視野以外のものが見えなくなってしまうのです。自分の中における周縁には知らない内に気づかなくなってしまいます。いつしか背負ってしまっている鎧や看板を外し、ただの一個人であるという事を意識して普段からやって行かないと、どんどんと視野の範囲が狭くなり、見えるはずのものが見えなくなってしまいます。
だから旅をして知らない土地に行ってみたりする事で心を開放し、普段から見向きもしなかったことに目を向けてみたり、音楽以外の色んな事をやってみるのはとても大切な事なのです。そんな周縁の中から自分の原風景が浮かび上がって、忘れていた初心を想い出したり、自分の作品の客観的な評価も持てるようになります。

さて来週はVnの田澤明子先生とのサロンコンサートです。是非是非お越しくださいませ。
12月17日(金)
場所:MPホール(日本橋富沢町11ー7 小堺化学KCIビルB1
時間:19時00分開演
料金:2000円
出演:塩高和之(琵琶) ゲスト 田澤明子(Vn)
演目:二つの月~Vnと琵琶の為の 君の瞳 西風 平経正 他
問い合わせ:09ー3662ー4701(小堺化学工業)
周縁の音色、大事にしたいですね。