行く道

急に寒くなってきましたね。先日は月食もあり、何だか時代の変わり目を感じさせるようなことが、この頃多いような気がします。
先週から今週は、演奏会がちょっとお休み状態なのですが、ちょうど良いタイミングで、ヴァイオリニストの中島ゆみ子さんのコンサート「中島ゆみ子と仲間たちvol.13」があって、久しぶりに魅惑の音色を聞いてきました。

中島さんとは合唱指揮者 郡司博先生の主催する「おんがくの共同作業場」の演奏会で御一緒させてもらって以来、この「中島ゆみ子と仲間たち」のシリーズコンサートには毎回駆けつけています。言うまでもなく素晴らしいクオリティーなのですが、何というか変な言い方ですが、毎回聴く度に中島さんらしくなって行く、そんな風に今回も感じました。
以前共演した時には、拙作のシルクロード系の曲をやって頂いたり、新作で共演したりしてクラシック以外での共演だったのですが、とにかく素直な表現というのが、中島さんの一番の魅力ではないでしょうか。彼女はとても穏やかな人柄で、いつも微笑んでいるような方なのですが、その人柄がそのまま曲に乗って音楽が流れだすように感じられるのです。音色がとにかく自然で、これ見よがしな表現は全く無く、聴いている者の身体に静かに満ちて行くようです。技術が高い事は言うまでもないですが、そのスタイルは「何も足さない何も引かない」。私は中島さんの演奏を聴く度にそう思います。

2012年郡司敦作品初演 北とぴあつつじホールにて。Vn 中島さん Ms 郡愛子さん
前に書いたパット・マルティーノ氏の言葉「自分が自分で在る事を幸せに思う。それにまさる成功はない」という言葉を、私は座右の銘にしているのですが、コロナ自粛が空けて久しぶりに聴いた中島さんの音色に、中島さんが今、自分らしく生きていることを感じました。実に気持ちの良い演奏でした。私のように業の深い人間は、どうしてもどこかに、まだ捨てきれない偏狭なこだわりが澱として残ってしまう。中島さんの演奏を聴きながら、自分もああいう境地で音楽に接したいな、と思いました。

新宿御苑

世の中は今、何でも数値で表され、物事はスペックで判断され、計量的時間に管理されています。大臣自ら「老後はこれ位お金がないと生きて行けない」なんて煽り、ネット上にはFXや株をAiに任せ楽して稼ぐ広告ばかりが増えて、お金を持っていることが豊かな暮らしの条件という具合に、どんどんと未来に対する不安を掻き立て、一定の方向へ民衆を追い立てようとしています。現代人は自分で好きに生きているようで、実は管理社会の枠の中に、気が付かないまま生かされ、計量的に刻む時間に支配されているとしか、私には思えません。現に世の中便利になったはずなのに、現代人は以前よりもっとせわしなく、且つ不安を抱えながら動き回って、その生活に余裕や優雅さはどんどんと無くなっている。そこには自らの中に脈々と流れる雄大な時間を感じ、豊かな人生を歩んでいる姿は見えないですね。これは人間としての危機ではないでしょうか。

この危機に瀕した状態にあって、芸術の在り方がこれからの時代のキーワードとなると思っています。何故ならば音楽・芸術は人間の心や命に直接アクセス出来るものだからです。そしてそれは管理支配された現代社会の中で、自分本来の生と時間を取り戻すとても有効な手段でもあります。
日本人は古来より季節の移りゆく姿を見て、それを歌に詠み、様々な想いを表してきました。和歌の他にも能や平家語り等、計量的時間を自由自在に飛び越え、過去から未来まで好きなように辿り、自分の身体の中に流れる生々しく、また永遠の時間を躍らせてきたのです。古典の世界観から見ると、現代はあらゆるものに追われ、毎日が窮屈でせわしないですね。

photo 新藤義久
現代人は、自分の人生を全うに生きているでしょうか。目の前の利便性やエンタテイメントに踊らされ振り回されていて、そこには自由は無いのかもしれません。

中島さんの音色は、まごうことなく中島さんのものでした。私も私の道を行きたい。そして自分の音を出して、自分の人生を歩みたいのです。軸は私の中にあるのです。

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