風のように2021

また大きな地震がありましたね。なんだか不安の種は尽きません。先日は物凄い雷の後の虹が素晴らしく、世の中が一難去って、好転して行くような期待を持って見ていましたが、まだまだ楽観はできないですね。しかし外では、桜もそろそろ見頃になってまいりましたので、これからの花の饗宴の季節を希望を持って迎えたいと思います。

善福寺緑地2021

演奏会の方も徐々ではありますが、始まって来ています。実は休止状態だった日本橋富沢町楽琵会が復活することになりました。場所も新たに日本橋の老舗呉服屋、田源さんの催事場での開催となります。名称も「人形町楽琵会」と変更することになりました。また内容についてはあらためてお知らせします。乞うご期待!。
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日本橋富沢町楽琵会:左 第15回 龍笛 久保順さん 笙 ジョウシュウ・ジポーリン君 
日本橋富沢町楽琵会:中 第一回目公演
日本橋富沢町楽琵会:右 第19回 Vn 田澤明子先生 能舞 津村禮次郎先生 photo 新藤義久
先日「打つ手なし」という発言も出てきましたが、もう生活全てに於いて自衛して行く覚悟を持たないと難しい時代に入ったと感じています。地方公演も、これまで通りに復活するのにはまだ数年かかりそうな感じですし、当分は自分で企画出来る規模のものが中心になって行くでしょうね。舞台人にとって、ここ数年は活動の在り方についての試行錯誤の期間になると思います。
これまでもそうでしたが、今後は「自軸」という事が一層キーワードになって行くと思います。自分の意見を明確に持って、自分で責任も持って、自ら動かない限り、何も行動を起こせなくなるんじゃないでしょうか。オリンピック関連ではベテラン達の発言が何度も問題になっていますが、キャリアを積めば積むほどに頭を柔らかくして、時代の変遷を敏感に感じ取って、先を行くようでなくては、この激動の時代では活動出来ません。
琵琶樂人倶楽部にて、笛の長谷川美鈴さんと photo 新藤義久

大体、次の時代を開くのは、形骸化した組織の常識や枠からはみ出して、オリジナルな形を作った人です。つまり自軸で動いた人達です。永田錦心、武満徹、鶴田錦史、海童道祖、魯山人、南方熊楠等々、皆自分の意志で、自らの目標に向かって動いていました。
人間は、新たな時代の中で、新たな形に生き方を変え、時代に対応し、各時代を形作って来たのですから、目標に向かって行く為には形を変えて行くセンスも必要ですね。旧態に固執していては自滅するだけです。そして今がその時代の形の変わり目の真っただ中だという事です。

こういう時代にあって、芸術の存在はとても重要になってくると思います。芸術の良い所はとにかくルールが無い所です。どんな表現でも技でも良いし、作り手の感性のままに何も制限の無いところで成立するのが素晴らしいのです。何物にも囚われる必要が全く無く、思い通りに何でもやって良いのです。そしてやるからにはその責任も全部自分で背負う。正に今の時代に求められていることが、芸術の姿と一致します。
何事も同じですが、何か既存の基準やルールの中での価値観に陥ると、感性が閉じてしまいますね。出来合いの枠の中に安住する優等生では、次の時代を生きられない。現状に対しちょっとアナーキーな位でちょうどいいと私は思っています。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
社会を形成して生きて行く人間には、ルールはとても大事なことですが、ルールというものは小さな枠の中だけしか通用しないうえに、時代が変われば、その枠の中ですら通用しなくなる。それも突然に。
人間が社会的存在としてのみで生きて行けるのなら、芸術は必要ないでしょう。しかし法律やルールなどの規範を超えた所に人間の営みがあるからこそ、芸術はどの時代でも絶えることが無いのではないでしょうか。例えば、平家物語の魅力は、ルールなどお構いなしのリアルな人間像が浮かび上がって来るところだと思います。我が子を見殺しにして逃げてしまった知盛の深い悲しみと、その後の死に向かって戦に突き進む姿、乳母子との厚い情と絆の中で死んでいった義仲、乳母子の捨て身の行動に反応もせず、独りよがりで助かろうとした宗盛、そして戦の時代に生きた女性たち等々、動乱する世の中での生々しい人間の姿が、物語のストーリーと共に目の前に迫ってきます。生き死にの場に於いて、ルールは無いのです。ルールでは語れない人間の奥底にあるものが、受け手を惹きつけるのだと思いますが、如何でしょうか。ちょくちょくブログに登場するアンティゴネーも、法律を盾にするクレオーンに対し、自分の意思を優先して行動するアンティゴネーの姿に、人間の人間たる姿を感じ深く感動するのです。

今、時代は正に変化の只中に在るのです。そんな中に於いて、私は人間が人間として生きて行く上で、目の前のルールに囚われていたら、前には進めないと思っています。ルールは所詮人間が考えたもので、真理ではありません。
私のような長く生きている者が時代の変化を受け入れ、自ら変って行ける感性があるかどうか。問われていますね。自分の意見を持って、自軸で生きて行かざるを得ない時代が来ているのです。
2016年キッドアイラックアートホールにて、自由な風を感じたライブ
As:SOON・Kim  Dance:牧瀬茜 映像:ヒグマ春夫各氏と
私の作品には風をイメージした曲が多いのですが、それは私が風という存在に憧れがあるからです。風には国境も小さな枠のルールも無い。ただありのままに漂うだけ。人間は土地にしがみつき、社会にしがみついているので、自分の存在を証明するものが欲しくなって、どうしても自由に動けず、自由な心を保つことがなかなか出来ないものですが、そういう人間にとって、芸術だけがそこから解放して、心を風の様に自由にしてくれる唯一のものかもしれません。私は何か窮屈に感じる時には、風を想います。自分が何に囚われ、何に縛られているのか、そこから自由に、自分の思うように、思う所に羽ばたいて行くにはどうしたらよいのか。風に身を任せると、おのずと自分のすべきことが解ってきます。
善福寺緑地2021
風のように生き、人生を歩みたいですね。

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