外では梅の花も咲き出しているというのに、何とも味気ない年明けになってしまいましたね。
先日お知らせしたように、プラネタリュウムでの演奏会も延期となり、近々は毎月定例の琵琶樂人倶楽部、そして配信ライブのみになっています。

今はもう無くなってしまった吉野梅郷の梅(8年ほど前)
こういう時間はのんびりとしている訳ですが、実はのんびりとしているようで、無意識の世界では、自分のヴィジョンに向かって着々と仕事が進んでいるそうです。無意識こそはクリエイティブで、have toではなくwant toで普段から考えていることは、きっちりと手助けしてくれるみたいです。私みたいに毎日ぶらぶらしている人間には何とも朗報ですな。
何事も先ずは想う所から始まりますが、自分がどうしたいのかという明確なヴィジョンさえしっかりしていれば、無理に頭をひねらずとも、無意識下で想いが成就するように働いてくれるというから嬉しいじゃないですか。そして無意識下の仕事が整うと、突然ひらめきとして意識上にアイデアが浮かび、具体的な発想が沸いて出てくるそうです。
この所の私は、ぶらぶらしながらも、映画なんか観ていると、ハッと普段から気になっていた部分が頭の中に浮かんで来て、急に譜面を引っ張り出したり、琵琶をいじったりしています。「あの曲のあの部分」なんて具合に閃くんですよ。突然メロディーが流れ出すこともしばしば。無意識最高ですね。
しかし現代人はなかなかゆったりと時間を過ごせない。24時間スマホやPCに振り回されていては、無意識の領域は働いてくれませんね。
以前の記事で論語の「而」について書きました。無意識下にwant toがあれば、きっと何かが現れてくるのではないでしょうか。
この魔術的時間を信じて、漂う時の流れに身をゆだねている位でないと、良いアイデアは出て来ません。一生懸命考えれば何か創り出せるというのは本人の自己満足でしかないと私は思うのです。
実はこの何もしない時間を過ごせるかどうかが、私の中では一つの基準となっています。自分がゆったりと過ごせていれば、必ず何かがひらめいて曲が出来上がる。今迄私はずっとそうやって作品を創って、舞台をやって来ました。しかし毎日演奏会続きで、しかも自分の作品でない新作をやらなくてはならないような時や、何か焦りのようなものが自分の中にある時は、どうにも落ち着かないし、創作も進みません。常に追われていると精神的にも良くありませんね。昼間からビール飲んでいられるくらいがちょうど良いのです。
毎度の呟きですが、今一番の関心はやはり作曲ですね。昨年作った独奏曲ももう少しブラッシュアップしたいのと、洋楽器とのデュオによる現代曲をぜひとももう一曲創りたいです。
来月の頭にはヴァイオリン・尺八・琵琶による配信のライブをやります。2,3年前から、時々この組み合わせでやっているのですが、演目にヴァリエーションが出て、とてもいい感じなのです。樂琵琶を使ったデュオ作品はもう大分そろっていますので、薩摩琵琶を使ったデュオ作品をもうちょっと増やして、独奏曲も完成させると、自分が理想とする演奏会の姿が出来上がりそうです。
それにしても今後どうなって行くのでしょう。時代の流れに乗ることは必要ですが、表面だけ乗っても、意識が変わらなければ結局淘汰されてしまいます。時代と共に在ることは必要ですが、流行に乗る必要はないと思います。
私はネット配信は、これから絶対に必要だと思っていましたので一早く始めましたが、エクセルやパワーポイント、フォトショップなどは今迄使ったことがありません。車の運転も出来ないし、SNSも全くやっていません。それらは私に必要が無いからです。それぞれ少しばかり使ったことはありますが、自分には必要ないと判断しました。何事に於いても皆一緒に横並びが好きな現代日本人は、皆がやっているからやる、それが「普通」だ、それが出来ないのは遅れている等というような同調圧力感覚が異常に強いですが、もうそろそろそういう村意識は捨てないと、これからの時代は、溢れかえるガジェットや、メディア情報に振り回されるだけで、とても自分の人生を生きて行けないのではないかと感じています。

琵琶樂人倶楽部にて photo新藤義久
「風の時代」に入ったとよく言われますね。これからは「個」が重要なポイントだと言われていますが、自分が何をしたいのか、どうやって生きて行きたいのか、自分で感じ、考え、自分に必要なものを自分で選択して行く時だと思いませんか。
個人と世界がネットを介し繋がっている現代では、まず自分自身が個として生きて行く。それを前提として、初めて周りと手をつなぎ、調和し、想いを共有して行く。今迄の様に、他との比較の中で自分を測り、自軸を持たずに生きていては、いつまで経っても「地の時代」から抜け出せないのではないでしょうか。
〇〇会社の私ではなく、○○流の私でもなく、私は唯一無二の存在として、この時代を生きて行くという位でいいのではないかと思いますね。せっかく素晴らしい風土と歴史のある土地に生まれたのですから、大いにその素晴らしさを享受して、自然と共に、世界と繋がって生きたいと思いませんか。それには他人が与えてくれた肩書や権威ではなく、自軸で「個」として生きることが出来るかどうか。そこが一番のポイントだと私は思います。これなくして無意識の世界も動かないのではないか、と思っています。
こういう事が「風の時代」に入って、はっきりと眼に見えるようになって来たのです。流行に乗る事ではありません。時代と共に在りながらも周りに振り回されてはいけない。
自分の時間を大切に生きて、無意識の領域を存分に働かせようじゃありませんか。ぶれない自軸で、大いにゆったりと生きたいものです。
私はのんびりゆったり出来るという事が、一つの大きな才能だと思っています。
素敵な音楽を創って行きたいですね。