相変わらずの籠城生活。いつまで続くのか判りませんが、本当にこれでウイルスの蔓延は無くなるのでしょうか・・?。出口が見えませんね。
周りの知り合いで、youtube 配信を始める人が増えてきました。リアルな舞台からヴァーチャルな映像の世界に変わって行くと、どんな音楽や感性が待っているのでしょうか。これはこれで今後の新たな展開が楽しみです。教育現場でも会社でも同様だと思いますが、今迄とは違う、新たな感性が育ち、哲学が生まれてくると思いますが、とにかく今が分岐点であることは間違いないですね。
現在直面しているこの事態は、自分自身も含め、世のあらゆるものが、今迄の価値観や感性から次の段階へと変化することを試され、促されている、そういう事態なのだと思っています。世の中と共に変われないものは、生き残ることが出来ないのは世の習いです。これまでは緩やかに変わってゆけば良かったものが、今は急激な変化を求められている、と感じます。
もうこんな舞台も出来なくなるかもしれませんね。
最近はまた良く夢を見ます。私は昔からほぼ毎日映画を観るように夢を見るのですが、このところ面白いのは、そのストーリーの中に、突然思ってもいない人物が登場することです。突然名前を呼ばれて、振り返ると知人だったり、また全然関係ない見たこともない人が急に現れて、話しかけてきたりします。夢はそこで終わらずにまた続いて行くのですが、ストーリーの途中にこういう異質なものが出てくるのは今までになかったので、大変興味深いです。突然変わる今の世の中を象徴しているのでしょうか。そこを乗り越えて行けという意味なのか・・?。

日本橋富沢町楽琵会にて 能楽師 津村禮次郎先生と photo 新藤義久
今は、皆さん自主トレなんかに勤しんでいる事と思います。でもよく考えると、このアフターコロナの世界が、今迄と同じものを求めるでしょうか。従来の延長線上にこれからもあるという発想で、練習を重ねていると、何か大きな落とし穴があるようにも思います。
かつて音響機器が開発され、マイクが急激に普及した時、大きな音を出す事よりも、マイクを上手く使える人が、時代の先端を切って行きました。それまではありえなかった奏法が開発され、音響機器があることを前提とした新たな音楽が生まれ、そのセンスがあっという間にリスナーを虜にしました。マイルス・デイビスのミュートトランペットは正にその代表でした。
アフターコロナの時代は、どうでしょうか。もしかしたらLive で実力を発揮する時代ではなくなっているかもしれません。今迄のスキルとは違うスキルを求められるような気がしています。芸術は勿論の事、働き方も変われば、挨拶のやり方まで変わり、人々が良いと思うもの自体が変わる。形も感性も全てが急激に変わってゆく、その分岐点に今いるのだろうと思います。
大きな声を出し、上手にコブシを回す技が、今や陳腐にすら聞こえるように、表面上の技や形に固執していたら、次の時代に生きて行けません。むしろそういう表面的な部分や技は切り捨てて行く位の事をしなければ、次の時代を生きて行くことは出来ないかもしれません。いつも書いていますが。受け継ぐべきはその精神や核の部分であって、技や形ではありません。どんな分野でも古い技や価値観の中に留まってしまう人は淘汰されてゆくのです。私達は今、試されていると言ってよいかと思います。

日本橋富沢町楽琵会にて Viの田澤明子さん、笙のジョウシュウ・ジポーリン君と photo 新藤義久
夢の中に突然現れる人物は、私にそれを告げに来たのかもしれませんね。