先日、愛知県の大府にある、おおぶ交流の杜こもれびホールの企画公演「夢幻百物語~小泉八雲」で演奏してきました。

安田登先生を中心に、おなじみの玉川奈々福さん、そして人形師の百鬼ゆめひなさんと小泉八雲の「雪女」「耳なし芳一」をやってきました。この日は八雲の曾孫でもある小泉凡先生、アンソロジストの東雅夫先生がそれぞれ講演もしてくれまして、豪華な会となりました。今年は八雲のメモリアルイヤーという事で、こうした企画があといくつかありそうです。
そして今回楽しみにしていたのが、百鬼ゆめひなさんとの初共演です。以前東保光君企画の舞台でゆめひなさんが出演していて、その時の映像を見ていたので、ゆめひなさんの独特の雰囲気を持った人形とは、いつか共演してみたいと思っていました。いつも大体想っていると、忘れた頃に何だか実現することが多いのですが、今回も良いご縁を頂きました。
百鬼ゆめひなHP http://www.yumehina.com/
私はどうも人形には何かシンパシーを感じてしまうようで、人形作家さんとは色々と縁があります。以前にも人形作家 摩有さんの創った人形と共演した時には、その独特の少女でもなく、大人の女性でもない、何とも言えない眼差しに惹きつけられてしまいました。物語の進行と共に、人形の表情が変わって見えてくるのです。もうその語りかけてくるような妖しい眼差しから、目が離せませんでしたね。言葉が無い分、こちらの想像力を掻き立てるのか、正に惹きつけられるという感じでした。数年前には佐渡の文弥人形とも共演しましたが、人形は人間以上に語るのです。何故なんでしょうね。とにかく役者さん以上に語るのです。人間はきっと顔の下に余計なものが多過ぎるのでしょう。何かを表現しようとする作為的な心がなくならない限り、人形の眼差しにはかなわないかもしれませんね。
「耳なし芳一」演奏中
このところ安田登先生と御一緒することが多いのですが、能の語りと琵琶の相性はとても良いのです。それは謡曲は、演者個人が表現しようとしないからではないでしょうか。語りをする人は多いですが、どうしても表現しよう、エネルギーを出そうとしてしまいがちで、それがどうも世界を小さくしてしまうように思います。演者個人の世界では、共感が生まれない。少なくとも私には迫ってこないことが多いですね。時々ご一緒する櫛部妙有さんは、そういう点では能の語りに近いものがあります。言葉の持っている内容や世界は充分に身の内に持っていながら、表面を自分流に加工しないで、淡々と声に出して行く。だから一緒にやっても違和感が無いのだと思います。判りやすく言うと、「けれん」が無いという事でしょうか。
ストレートなエネルギーは内面にも、外側にも「満ちる」ものであって、押し付けてくるようなものとは基本的に違います。
人形のあの無垢な眼差しの前では、個人のお見事な芸などとても足下には及ばびません。もっと純粋に音と向き合わなくては、一緒に出来ませんね。今回は良い刺激ももらいました。

終演後、共演者スタッフの皆さんと記念撮影
今回はちょっと共演の演目が短目で、じっくりと演目を創り込む時間も無かったのが残念でしたが、人形を前にすると「幻惑されて」(このタイトルにビビッと来る人はお仲間です)しまいますね。是非またいつか一緒に舞台をやってみたいですね。シンプルな舞台に、琵琶の音が漂って、その静寂の中をゆっくりと人形が動いて行く・・・・。なんだか舞台の姿がもう見えてくるようです。

昨年の琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
こうして素敵な舞台をやらせてもらうのは本当に嬉しいものです。私はやはりいろんな場所に行って「旅がらす」で居るのがちょうど良いです。色んな場所で、色々な方々と共演し、様々なものと調和して舞台を創り上げるのは本当に嬉しく、歓びを感じます。現実は東京に拠点がないと難しいのですが、せめて何か月かに一度は旅の空に居たいものです。以前は毎月飛び歩いていたんですがね~~。
来年の年明けは、初の北海道での仕事も入っているので、これからも機会があればどんどんと足を延ばして旅がらす生活を続けたいと思っています。大体公演の前の日から現地に乗り込んで、街をうろうろしたり、終わってからも、すんなりとは帰らないのが琵琶法師流でして、放浪漂泊が私の身上です。
さて、今月末は、毎年年明けの恒例となりつつある荻窪衎芸館でのサロンコンサートです。今回は笛の長谷川美鈴さんとのジョイントです。笛や琵琶をたっぷり聞きたい方は是非お越しくださいませ。

PS:打ち上げの時に私が「ローカル線の景色はいいんですよ」「スイッチバックがどうのこうの」と話しをしていたら、小泉凡先生がぐぐぐっと反応してくれまして、「乗り鉄」話に花が咲きました。こういう共通項のある方と出会うのもまた嬉しいですね。