今年も終わりますね。毎年年末は暮れ行く年を眺めるように、家でゆっくりしています。幸いなことに私は満足のゆくオーディオシステムを持っているので、こんなのんびりとした天気の良い日は、朝からチューブアンプJUDO-J7に灯を入れてじっくりと暖めてから、大きめの音でジャズ三昧です。今朝はジム・ホールとジェシ・ヴァン・ルーラー、午後はマイルス、コルトレーン、ビル・エバンスから最後はパットマルティーノまでアルバムをフルで聞きました。夕方からは暮れ行く陽射しの中で琵琶を抱えて、あれこれと新作に想いをめぐらし、夜はゆっくりお酒を頂くという贅沢ぶり。たまにはこうでなくっちゃ。
今年も本当に良い仕事をさせてもらいました。心残りも無い訳ではないのですが、良い事も、今一つな事も皆ご縁。ご縁を沢山いただきました。
昨年は8thCDをリリースし、国立劇場では正倉院の復元琵琶も弾かせていただき、大いに盛り上がりましたが、今年はEテレの「100分de名著」に出させていただいたことが大きかったですね。共演の安田登先生のご縁で、玉川奈々福さんや演劇関係の方々など、あまり出会う事の無かったジャンルの方々と縁を頂き、仕事の幅も広がり、得るものが多々ありました。


安田登先生・玉川奈々福さんと 左:「あうるすぽっと」にて Photo 山本未紗子(BrightEN)
右:「ルームカットカラー」にて photo 新藤義久
毎年自分にとってのエポックメイキングなことがあるというのは、まだ自分に使命があるという事でしょう。琵琶を手にした時から、ずっと何かに導かれるように活動が展開していきましたが、この感覚はますます強くなってきていますね。また自分という存在に対する認識も年を重ねるごとに少しづつ変わってきています。以前は常に自分が思う、考えるという、自分を主体とした想いが強かったのですが、年のせいか近頃は、他との関わりの中の自分という事を感じられるようになりました。どんなご縁もその元や因となるのは自分の中にあるもので、良く見渡してみたら、自分が思考するものと同質のものを持った方々と繋がっていますし、また苦手な人も自分の中のネガティブな部分に対応していると感じます。

9月益田のグラントワ「よみがえる戦国の宴」イベントにて、尺八の田中黎山君と
この御時世の中で琵琶奏者として生きていられるというのは、まあ奇跡みたいなもの。琵琶の演奏が生業になるという事はありがたいとしか言いようのないのですが、それだけに自分が何をやるのかが問われているとも感じます。ただの珍しい楽器奏者として、肩書並べて「先生」やっていれば良いのか、それとも永田錦心や鶴田錦史の様に、次の時代へと琵琶樂をつなげるような活動をすべきなのか・・。答えは明らかですね。だったらそれに見合うクオリティーのものをやってこそ、音楽活動と言えるのではないでしょうか。それを実践していれば自分で納得も行きます。どれだけの成果が出ているかは判りませんが、自分がその志を持って活動しているんだという気持ちがずっと続いているという事がありがたいのです。
私はとにかく琵琶の音色をもっと届けたいのです。「歌」は音楽の中の一部であり、メインではありません。声が必要なら、声のプロと組むようにしています。片手間にやっていてはろくなものはできません。歌い手は歌い手として生きていなければ歌えないのです。どんな音楽を聴いても歌がメインの人が弾く楽器は伴奏でしかない。楽器を真に聞かせたいのなら、器楽奏者としての意識で生きていなくてはハイクオリティーなものは出来ません。勿論体もそうなって行かなければ良い音は出ません。少なくとも私が今まで見て聴いてきた歌手や演奏家は皆そうでした。私は琵琶奏者として生きている。上手い下手というよりも、琵琶の音色に命があるかどうかの問題。それはピアニストでもギタリストでも同じ事。琵琶の音色で最後まで語り、伝える事が出来て、はじめて琵琶奏者と言えるのです。声を使わなくては成り立たないようでは、琵琶奏者とは言えないと私は思っています。私の音楽家としての命は琵琶の音色の中にあり、また私は琵琶を弾くために今、この現世に居るのです。

先日の日本橋富沢町楽琵会にて、Viの田澤明子さん、津村禮次郎先生と
私はもっともっと琵琶の音色と楽曲に特化して、その魅力を届けたいですね。この妙なる音色を歌の伴奏楽器にしておくのは、実にもったいないと思っています。もともと雅楽では歌の伴奏をしていません。素晴らしい独奏曲も色々とありました。しかし平家琵琶が出来上がった時に伴奏楽器になってしまったのです。以前にも書きましたが、声が「言の葉」「言霊」という霊性を持っていた時代には、樂の音にも大変な霊力ともいえる力がありました。琴や琵琶などの絃楽器には特にその力が強かった。しかし中世に入り平家物語が成立すると、声はストーリーを語るツールとなって、琵琶はそのストーリーテリングの伴奏に使われてしまった。同じ中世でも能に於いては、笛は霊性を持って謡や舞と共に存在していたのとは対照的です。
あれ以来琵琶の音は語りの影に隠されて、樂の音の霊性が奪われ・閉ざされてしまったと私は考えています。だからもう一度声と切り離し、琵琶本来の霊性を取り戻し、表舞台に出してあげたいのです。
あれ以来琵琶の音は語りの影に隠されて、樂の音の霊性が奪われ・閉ざされてしまったと私は考えています。だからもう一度声と切り離し、琵琶本来の霊性を取り戻し、表舞台に出してあげたいのです。

Violonにて photo 新藤義久
年明けは、8日の琵琶樂人倶楽部から仕事始めです。笛の長谷川美鈴さん、筝の内藤眞代さんをゲストに演奏します。
来年の構想も色々とあります。創ってみたい曲もイメージが出来ていますし、今年作曲初演した「四季を寿ぐ歌」も来年には再演したいですね。まだまだやりたいことが沢山あるのです。あくまで自分のペースでしかないですが、淡々と確実に想うところをやって行きますので、是非また演奏会に足をお運びください。
今年もお世話になりました。