美しさと支配

先日、佐渡の文弥人形「猿八座」との共演でで「ちぎりあらば~残された者たち」を上演してきました。素敵な公演になったと共に、人形の魅力をあらためて感じました。
昨年愛知県豊田市にある「てぃだかんかん」にて、初共演したのですが(右写真)、この時の公演がとても印象深く、物言わぬ人形がこれほどに語るのか、と感激してしまいました。それで是非東京でもやってみたいということで、今回の公演の運びとなりました。会場には津村禮次郎先生もお越しになってくれまして、打ち上げ共々楽しい時間となりました。
佐渡と東京ですので、稽古があまり積めず、細かな所が少しあいまいになってしまったのが残念でしたが、これもまた次回への課題ということで、更にこの先をやって行きたいですね。

今回は平家物語「重衡斬られ」の部分をやったのですが、こうした古典を題材としたものをやる度に思うことがあります。それは今日本人が美しいと感じる、その感性の土台はどこにあるのか・・・?ということなんです。「あはれ」「わび」「さび」など独特の美的感覚を持った我々のこの感性は、長い歴史の中で育まれれてきた世界でも稀なものだと思いますが、それらを形創り、根付かせたのは、いわゆる美の巨人達であり、現在の我々は、彼らの感性の中に生きていると言ってよいのではないでしょうか。

千利休世阿弥
利休・世阿弥・西行

それは西行であり、世阿弥、利休、芭蕉・・・。もちろん利休から古田織部、小掘遠州とどんどん新たな感性と形式が生まれて行きましたが、それも利休という存在があったからこそ。もっと辿れば、西行の和歌の世界があったからこそ、ではないでしょうか。

我々は美の巨人達に支配されている。

支配というと抑圧されているように思いますが、さにあらず。魅惑的なまでの美の支配者の世界の中で、我々は嬉々として生きているのです。この美の中に居ると心地良く、この美を持っているからこそ、日本人としてのアイデンティティーを持ち、大いなる幸福を感じ、世界に日本の美を発信しようと思うのです。

また日本人の感性が崩れ、形骸化し、危うくなってくる時には、美の僕~例えば魯山人のような人~が現れ、もう一度日本の感性を日本人に再確認させてくれます。そうしてこの類稀な美の世界は延々と受け継がれてきたのです。この継承は是非今後も途絶えさせないようにして行きたいと思っていますが、私もしっかり美の支配者に取り込まれているということでしょうね・・・。

私は全ての仕事で、ほぼ私の創った曲を演奏します。人の作った曲はほとんど演奏しないし、他の人が創った曲は自分なりに編曲を施して演奏しています。しかしそれだけオリジナルでやっていても、そのオリジナルを生み出す感性の源は、美の巨人達によってこの日本に現され、形創られたもの。どうしたって天才達=美の支配者達が創り上げたこの日本的感性という世界からは逃れられないですね。それは日本の共同幻想とも言えるかも知れません。

私は僕にすらなれないと思いますが、世界が繋がり、日本の美が形を変えて行くこの時代に、これ迄育まれてきた日本の感性を持って創作に挑みたいです。

今度の日曜日は荻窪のかんげい館にて、笛の長谷川美鈴さんと小さな会をやります。「春の風~その様々な姿」と題しまして、春の風にまつわる色々な曲を演奏します。気軽な会ですので、是非お越しください。14時15分開演です。
日本の感性を感じていただけたら嬉しいです。

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