響く声 渡る音

京都烏丸今出川にある光明寺にて、声明と邦楽の演奏をやってきました。このお寺は御所のすぐとなりにあるのですが、いわゆる観光寺ではないので俗な感じが無く、すっきりと気持ちの良い御本堂でした。ご住職は声明の指導者として全国で活躍されている方なのですが、何度もお世話になっている滋賀の常慶寺さんの関係で、常慶寺演奏会は元より、5月の百万遍知恩寺での演奏会にも駆けつけてくれて、今回の演奏会を企画してくれました。

滋賀 常慶寺での親鸞聖人御遠忌法要記念演奏の時の様子
今回は第一部が声明、第二部で私と笛のいつもの相方 大浦典子さんと邦楽の演奏をするという内容。今回は九州や広島、名古屋そして関東から住職のお弟子さんたちが駆けつけ、彼らの朗々とした声明が響き渡り、堂内はすがすがしい気に溢れた空間となりました。
真宗の声明には雅楽が付くので、今回は笙・篳篥・龍笛の方も来て40分ほどたっぷりと声明を聴かせていただきました。以前滋賀の常慶寺や還相寺でも私と笛の大浦さんとで、声明に合わせて楽をつけ、親鸞聖人御遠忌法要記念の演奏をやったのですが、声明と雅楽はいい感じで合うのですよ。

「真宗大谷派の声明は声が大きく、オペラで言えばイタリアオペラのようです」と御住職が紹介していましたが、今回は若手のお坊さんたちが、目一杯声を上げてやってくれましたので、正に華やかで、且つけれんの無い、清い声々が饗宴していました。倍音がビンビンと聴こえてきましたよ!。

福島 安洞院にて能楽師の津村禮次郎先生と

こういう演奏会は本当に好きなんです。邦楽はともすると「芸」に陥ってしまい、マニア向けの中途半端な形で終わってしまうことが多く、個人的なお楽しみの世界に入っているものが多いのですが、今回の声明には、そんな中途半端な演奏家意識が無く、またレベルも高くとても新鮮でした。あくまで仏道の一環として、精魂込めて歌うという姿勢には、声明を歌うことに対しての喜びが溢れていました。音楽家もそうでありたいですね。
どんなジャンルでも、アーティストは自ら作品を作って、それを披露して評価を頂いているのです。文学も美術も芸術といわれるものは皆、創り出しています。古典をやっても、ただなぞっているだけではなく、研究を重ね、明確な視点と哲学を持って取り組んでいるからこそのアーティストなのです。「お見事」な芸を披露している訳ではないのです。ここが邦楽人の意識と芸術家の意識が一番ずれているところですね。
声明を聴いていて、もっともっと音楽を創ってゆきたいなと思いました。笛の大浦さんとはこれまでも沢山の曲を創ってきましたが、都の秋風に当たりながら、あらためて今後も新作を創り演奏して行こうと話が弾みました。
今年は私が薩摩のCDを出した事もあって、Reflectionsコンビの演奏会がなかなか出来なかったですが、来年はまた新作を引っさげて色んな場所で演奏して廻りたいです。

今回も終わってからは大宴会。二次会にも参加してカラオケを歌ってきましたが、さすが毎日お経と唱えているお坊さんたちは声が良いですね。
京都ラ・ネージュにて

さて、ここ秋はなかなかの大忙しです。明日土曜日は東洋大学での特別授業。続く連休は豊田市にて、文弥人形の猿八座との共演。戻ってすぐには琵琶樂人倶楽部の第130回定例会、静岡の伊東市、鎌倉のアートフェスと立て続き、18日は第16回日本橋富沢町樂琵会。今回はいよいよ満を持して、筑前琵琶の田原順子先生をお呼びして、薩摩筑前の聴き比べの会を開催します。その後も埼玉のお寺での公演・・・とどんどん続きます。またその合間を縫って、久々にジャズのライブハウスや地元阿佐ヶ谷のジャズフェスティバルでも演奏するので、横になっている暇が無いです。ありがたいことですね。
魅力ある音楽を創って行きたいのです。

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