今週は、関西にちょっと用事があったので、ついでに奈良にも寄ろうと思って行ってきました。奈良にいる間に、次の東京での用事がキャンセルになったので、そのまま奈良~京都・金沢経由~高岡~富山~長野~松本とぐるりと廻って帰って来ました。

興福寺と朧月
実はこのところ私の周りで「伎芸天」の話題が盛り上がっていて、何だか無性に気になっていたんです。伎芸天といえば秋篠寺ですが、今回の奈良行きはその伎芸天に逢いに行こうということで思いついたものでした。考えてみれば秋篠寺にはもう15,6年行っていないので、今回は何かのお導き??という感じで行ってきました。



左:秋篠寺の苔むした庭 右:御堂外観
行った日の朝早く雨が降ったせいか、境内はとても静謐な雰囲気で、参拝の方も誰もおらず、しっとりとした静寂が漂っていました。境内の庭はびっしりと苔むしていて、足を踏み入れただけで清浄な空気に包まれるような感じがしました。
奈良はもちろんのこと、どこにも国宝級の有名な神社仏閣はありますが、観光客目当てのお店が並び、みやげ物の売り子が待ち構えているような所が多い中、秋篠寺はそういう俗なものが一切無く、私の思い描く清潔で、静謐で、ゆったりとした気に満ちたお寺の姿そのものなのです。
静寂の中、長いこと伎芸天の前に佇んでいたら、いつも何かと戦ってしまう自分の心の弱さが見えてきました。自分に揺るぎ無いものがあれば、ちょっとしたストレスがあっても、それに囚われイライラしたり、戦おうとしたりする必要は無いのです。つまりは揺るぎないおおらかな心を見失っていたということです。これ迄自分一人で何でもやってきましたが、それ故、心が硬直していたのでしょう。良い気付きを頂きました。
何かすっきりとした気分でホテルに帰ってみると、メールが入っていて、東京での仕事が無くなり、2日ほど丸空きになりました。それじゃあ「乗り鉄」の本領発揮という事で、次の朝早く京都に出てサンダーバード号に乗って、琵琶湖を眺めながら一路金沢へ。金沢はもう何度も歩いているので、食事をしてすぐに在来線に乗り換えて高岡へ直行しました。
高岡は地味な町なのですが、旧い町並みが残っていて、いつかゆっくり歩きたいと思っていた街なのです。JRの大人の休日倶楽部のCMで見た方も多いかと思いますが、派手さは何も無いのですが、静かで良い所なんですよ。


歩き回るのも疲れた頃、アンティークなギャラリー喫茶があったので、珈琲を飲みに入ったところ、そのお店で某大女優がJRのCMを撮影したとのこと。お客さんが誰も居なかったこともあって、私はその大女優が座ったという通称「小百合チェアー」に座らせてもらって、ゆっくりしてきました。
夜は富山に泊まって、次の朝早く長野へ。長野では、故 香川一朝さんと最期の演奏会をやった、かるかや山 西光寺へ参拝。もうあれから8年も経ったかと思うと、感慨深いものがありました。
昼前には松本に向かったのですが、ここから「乗り鉄」心が一気に盛り上がりました。長野から「篠ノ井線」という在来線に乗ったのですが、これがもう最高なのです!!。この線は以前にもレポートした小海線と共に、とても標高の高い所を通るのですが、なんと言ってもハイライトはスイッチバックをする「姨捨」という駅。ここは古今和歌集に始まり、謡曲の題材ともなり、芭蕉にも
「俤(おもかげ)や姨(おば)ひとりなく月の友」
と詠まれた絶景の場所。姨捨は棚田が有名ですが、「田毎の月」と古来より詠われてきた名月の里でもあります。この駅ではスイッチバックをするために何分か止まることもあって、この眺めを見るために篠ノ井線に乗る人も少なくないと思います。いや~素晴らしい眺めでした。今度は月を眺めに、夜乗ってみたいですね。

そして最後は松本の街へ行きました。松本も旧い町並みが残っていて、お店も古くからのご商売のお店がまだ健在なので、居心地のよい街なのです。高岡のような地味で静かな所ではありませんが、都会の姿と旧い街が良いバランスで共存している素敵な所だと思います。
また今回の旅では、行った先々で良い感じの店に当たりました。最近お酒の好みがすっかり30代の頃に戻って、もう洋酒一本やりなのですが、どの街でも美味しい料理と旨い酒にありつきました。特に奈良で見つけた三条通にあるCOCK-TAILというお店は、私好みのウイスキーと、ちょうどいい感じのイタリアン系の料理のレベルが高く大満足!!。今度また奈良に行く時には寄らせてもらいます。
旅をすると日常から開放されますね。たった数日間なのに、色々な街を見て、歴史を感じ、人と出会い、普段と違う時間を過ごすことが出来、結果として自分を見つめ直すことができます。東京に戻ってきても、日常が新鮮に感じられます。伎芸天に逢いたいという衝動が、ここまで旅を延長させて、多くの体験を与えてくれたのかもしれません。
そして今回の旅では雨にあうこともなく、毎晩、朧月が見えていました。煌々と輝く月も素晴らしいですが、朧月はまた格別です。月に叢雲がかかるからこそ、その美しさを心に感じられるというもの。自分の人生も紆余曲折があるからこそ、かえって自分本来の心の在り様が実感できるのかもしれません。
古仏の微笑みと、叢雲のかかる朧な月が、私に大きな癒しを与えてくれました。