
お陰様で国立劇場の企画公演「日本音楽の流れⅡ 琵琶」は無事に終了しました。いつもはどんな演奏会でも自分の作品を演奏しているのですが、今回は久しぶりに作曲家の新作を初演するというお仕事。しかも自分の琵琶ではなく、正倉院の復元琵琶で演奏するという企画でした。演奏にはかなり苦戦しましたが、とりあえず何とか初演まで漕ぎ着けることが出来ました。今回はメンバーがとてもフランクで且つ実力ある面々が揃い、終始良い雰囲気でリハーサルから本番まで務めることが出来嬉しかったです。
作曲:平野一郎 四弦琵琶:私 五絃琵琶:久保田晶子 打物:池上英樹 笙:中村華子 芋:東野珠美
コロス(東京混声合唱団)松崎ささら 吉川真澄
渡辺ゆき 小林祐美 志村一繁 平野太一朗
佐々木武彦 伊藤浩
本当に良い勉強をさせてもらい、多くの事を体験し、感じることが出来た、とても貴重な機会でした。私の演奏は作曲家にとっては至らないものだったことと思いますが、こういう場に声をかけてもらったこと、そして素敵な仲間達との出会ったことに深く感謝しています。またこのような普段とは全く違う仕事をさせてもらい、自分の視野も大きく広がり、この体験がこれからの自分の演奏会にもフィードバックされて行くと思います。



かつて音楽が大きな力を持った時代がありました。音楽が世の中を代表し、世界がそれについて変わって行ったとも言えるような時代が・・・。私は最近、60年代や70年代の動画を観ることが多いのですが、単なる懐古趣味というのではなく、確かにあの時代は音楽に力があったと思えてならないのです。
アートというものが現代音楽のようなアカデミックなものだけでなく、ジャズやロックにまで拡大し、もうライフスタイルから世の中の流れまでも左右するような一大ムーブメントとなって世界に発信されていきました。パンクロックにいたっては、ファッションやデザインをはじめ、あらゆる分野にその精神を広げ、大きな影響力を及ぼしました。
まだレコードしかない時代に、ものすごい浸透力だったと思いますが、今のようにあらゆるメディアに溢れていないからこそ、皆が同じレコードというメディアに殺到したんでしょうね。そう考えると今のネット配信のように、誰でも世界に発信出来る状況が良いのか悪いのか・・・?




日本音楽の現場でも大きな運動が展開されました。特に現代邦楽の分野は、皆意義を持って取り組んで、旺盛な活動が展開されました。勢いだけのものも多かったと思いますが、それこそ国立劇場などでは、何度も様々な新作が上演され、喧々諤々のやり取りの中で、大きなエネルギーが湧きあがっていたのです。「ノヴェンバー・ステップス」のような世界的に有名になった曲も生まれ、音大でクラシックしか勉強してこなかった作曲家も、ようやく自分の足元にある豊穣な歴史と文化に満ちた日本の音楽に目を向けだして、様々な試みが展開され、演奏家もリスナーも熱い視線を投げかけた、そんな時代があったのです。

実は今回、平野さんは粋なことをしてくれました。彼がまだ譜面を書く前、稽古場で顔合わせをして、その時に私が復元琵琶を試し弾きしていた様子を、彼はしっかり録音していて、私がいつもの調子でガツガツ弾き倒していたフレーズを作品の中に散りばめてくれました。やるね!。

丹後宮津出身の平野さんには印象深かったという、江ノ島から見た富士山
音楽は時代と共にある、という言葉は私のスローガンですが、芸術音楽はどの国でも、どの時代でも世の中の先取りをしていくと私
は思っています。芸術家の表現活動は、各国で革命の原動力にもなって行く位ですから、今私たちが新たな日本音楽を創造して行くことは、必ず次世代に何かしらのバトンを渡してゆけるのだと思います。
は思っています。芸術家の表現活動は、各国で革命の原動力にもなって行く位ですから、今私たちが新たな日本音楽を創造して行くことは、必ず次世代に何かしらのバトンを渡してゆけるのだと思います。
今の日本は激動の中にあります。外交問題も、国内の問題も山のように難題を抱えているし、急激なグローバル化で、日本人の意識も追いついてゆけないような状況なのでしょう。某大学のパワハラ問題などは、邦楽界はもとより日本全体にまたがる問題のように思います。私は以前から父権的パワー主義と書いていますが、もうこの感性ではこれからは世界の中で生きては行けない。嫌でも何でも、村意識から脱し、世界の中の日本という意識を持たずには、日本も邦楽も生きてゆけない時代なのです。

これまで日本が築き上げてきた文化は勿論素晴らしい、でもその歴史の中で、移り行く時代との間に様々な風が湧き上がりました。それは時に爆風となり我々を吹き飛ばし、またその風に押し出されるようにして次の時代へと我々は向かっているのです。だからウケ狙いで表面をお着替えしたもの、前衛を気取ったもの、目の前の売り上げしか見ないようなショウビジネスでは、単に奇をてらっているだけで、その風を、熾烈なまでの爆風を受けることが出来ない。時代の風こそが我々を動かすのです。
風を起こすのも我々であり、また風をこの身に受けて、次の時代へと橋を渡すのもまた我々なのです。
これからの時代を、音楽が魅力的でワクワクする時代にしたいものですね。