風のように

青梅宋建寺での演奏会「琵琶の調べ~紡ぐ響き」は無事終わりました。今回はまとめ役の笛奏者 長谷川美鈴さん以外は、パーカッション、ピアノ、ベースという洋楽器の方々と一緒だったのですが、メンバー皆さんフランクでとても楽しい演奏となりました。またスタッフの皆さんも地元愛に溢れた方々が実に素晴らしいサポートをしてくれて、お客様も本当に沢山いらしてくれて、手作り感のある素敵な演奏会となりました。是非また青梅で演奏会をやりたいですね。

宋建寺

それにしても青梅は本当に良い街です。私は都会に居ると息苦しくなって、結構頻繁に青梅や奥多摩、信州などに行って英気を養っています。このブログにもそんなプチ旅行記を載せていますが、ああいう土地で演奏出来るのは嬉しいですね。勿論都会ならではの素晴らしさも重々判っているのですが、基本的に人里離れた山奥みたいな所に憧れる気持ちは10代からずっとあるので、これからは都会に基盤を持ちながら、生活は緑にあふれた所でするなんてのも良いかな~~と思ってます。

 

風を感じたライブ キッドアイラックアートホールにて
あわただしくリハーサルやら舞台が続く毎日ですが、青梅の演奏会も、地元の人々のサポートも、リハーサルを重ねている国立劇場での演奏会のメンバーも、いずれにも人が集い一つになって興す気持ちの良い風を感じるのです。
想いは具体的な言葉でなく、形式でもなく、目にも見えない風となって肌で感じる。私は何時もそんな風を感じる時、とても幸せな気分になります。言葉には虚偽が潜んでいることも多いですが、風にはそれが無い。偽りようがない。純粋なものしか風となって吹き来ることはないのです。

仏教では禅風という言葉があるそうですが、先人の教えや想いを、形ではなく、その志において受け継ぐことが大事だと常に思っています。形は目に見える分、判りやすいですが、形に囚われて惑わされて、その本質にある志をいつしか見失なってしまう。本来純粋であるはずの音楽の世界でもそういう例は数限りなくあるものです。だから形ではなく、表面の上手さでもなく、そこから風を感じることが一番の継承だと感じています。

 

私が何時も演奏している琵琶独奏曲「風の宴」も先人の琵琶人の風を我が身に受けて、また次世代へとその風を渡す、という意味合いで作曲しました。曲中には、私が尊敬を寄せている琵琶人のフレーズが随所にちりばめられています。私はあくまで自分自身でありたいと思っていますが、そこには先人達の風が吹き渡り、常に私は琵琶を弾く度に、その豊穣な風に包まれていると感じられるのです。

この風はきっとシルクロードを渡り、日本へと受け継がれ、また太古の昔より現代に絶え間なく続くものでもあると思います。組織や流派を守っても、そこに風は起こらない。偉くなっても、有名になっても、上手になってもそんな所には風は無い。風は時代も俗世も軽々と超え、心の中にこそ吹き渡るものであって、心でしか感じられないのです。

福島安洞院にて。津村禮次郎先生と

今迄風を感じたことは何度もありましたが、能の津村禮次郎先生とやっていた戯曲公演「良寛」で、樂琵琶と先生の舞のみの8分間に渡るラストシーンは、今までに経験したことの無い特別な風を感じました。早朝の湖面を渡るような、静やかで無垢な、あの静謐に満ちた風は忘れられないですね。会場全体が一つに成ったような特別な瞬間空間でした。舞台上に於いて、あれだけの風を感じるというのはなかなか無いので、良く覚えています。

次世代に風を送りたいですね。

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