桜の花も咲き始めたというのに、なんと今日は雪の一日となりました。ここ杉並ではお昼頃は結構な降りっぷりで、冬に戻ったような寒さでした。桜の花の上に降る雪とは・・・寒の戻りにしては戻りすぎです。来週にはきっと春の陽射しが注ぐのでしょう。それまでしばしの足踏みですね。

演奏会の少ないこの時期は、いろんなものを観て聴いて、そこから感じたものを我が身の糧とするためにある時間と位置付けています。普段から時間さえあれば舞台もライブビューイングも観に行きますが、自分の中に満たしてゆくには、ゆっくり味わい、考える時間が必要です。それらの経験が新たな発想を生み、また作品も生みます。そこまでじっくりと自分の中まで取り込んでゆくのは、この時期ならではといえますね。特にこんな雪の日には思いが深まります。
音楽は専門という事もあり、またちょっと違う刺激なのですが、映画やオペラなど観ると本当に視野が広がり、多様な世界を体験出来て楽しいです。自分の普段触れていなかった世界に触れると本当にワクワクします。先日もアフリカを舞台にした映画を観ましたが、今迄視野の中に入っていなかったアフリカが急に感覚の中に入ってきて、パ-っと視野が開けたような感じがしました。素晴らしい体験でした。
この春も色々映画は観たのですが、中でも「命をつなぐヴァイオリン」には色んな想いが湧き上がりました。

もう力で相対する考え方を捨てていかないと、本当に人類は終わってしまいそうな気がします。先ずは小さな個人からそんな気持ちになっていかないと、また同じことを繰り返してしまう。ジョン・レノンが「イマジン」を歌ったのは1971年。あれからもう50年近い年月が経っていますが、その間にも世界中で常に戦争が起きている。止むことはありませんでした。「イマジン」を理想主義のムーブメントではなく、現実として行動していかないと、この世から音楽さえも消えてしまうかもしれません。この映画の中の子供たちの音楽は権力と武力によって抹殺されてしまいました。私たちはそれをしてはいけない。私たちは次世代に素晴らしい音楽を残してあげなくては!。我々はその使命を帯びているのではないでしょうか。そんな想いが募りました。
古来より芸術家は権力・武力などのパワー主義に翻弄されつつも、何処までも自由を表現し、その精神こそが芸術家たる証でした。それは国境も時代も民族も超えてあらゆる所に共感を生み、世界中に種をまいて行きました。世阿弥も利休も永田錦心も、色んな軋轢や困難を乗り越えて新たな世界を次世代に残して行ったのです。それは彼らが背負った運命であり、同時に芸術を志した我々にも少なからずある矜持だと思います。天才達のようには常識やルールを大きく越えることは出来ないかもしれませんが、枠の中にこじんまりと収まり、あぐらをかいて満足して、枠を越えて行けないようでは、ものは創り出せません。既成の枠やスタイルの中で何かをするのではなく、時代の移り変わりと共に、スタイルそのものを創り出し、どんどんと広げ、次世代に新たなものを提示してゆくことが芸術家の使命なのです。

マイルス・デイビス
人間は社会の中でしか生きられないし、その社会を選択することもなかなか難しい。そう簡単に多様なものを受け入れることも出来ません。しかし同じ民族でも、いや家族でも、お互い顔も感性も好みも違うのは当たり前であり、その様々な個性が溢れてこそ、世の中が成り立ち、また魅力が満ちているということは皆が判っているはず。
愛を持っていない人間は居ないように、民族や言語が違っても、どんな相手であっても共通項は沢山ある。人間なら美味しいものをしたいし仲間と食べている時には皆笑顔になるでしょう。それが人間というもの。そんな気持ちを分かち合えるようでありたいですね。
とりとめもなく想いの広がる寒い春の日でした。