今年も3月11日がやってきます。今年で七年という歳月が経ちましたが、今どれだけの人があの震災のことを覚えているでしょうか。今東京では、節電という言葉すら聞かれなくなりました。しかし3,11は単なる大地震というだけではない大きなものを現代の日本に突きつけ、残しました。私達はこれからもそれらを深く考えて行かなくてはならないように思います。

この催しは毎年、東京のルーテルむさしの教会でやっていたのですが、昨年からは福島の安洞院というお寺で法要とともに開催しています。昨年は能の津村禮次郎先生と、俳優の夏樹陽子さん、詩人の和合亮一さん、そして私の4人でやったのですが、今年は和合さん、俳優の紺野美沙子さん、私の3人でやることになりました。
震災にまつわる手紙を募集して、それを紺野さんと和合さんが朗読し、私が演奏するというスタイルで、途中私の独奏があったり、和合さん書下ろしの詩と私とのデュオなども交えて行います。
昨年の様子
昨年は「良寛」の舞台と、津村先生、夏樹さん、私で上演したのですが、今回は詩や手紙の朗読が中心の会となります。
私は震災の年の秋に福島に呼ばれて演奏したのがきっかけで、毎年のように福島に行くようになって、多くのことを感じました。相馬や飯舘など原発事故の影響の強くあった地域などに行った時には、現地の方にも色々と話を聞いたのですが、東京で報道だけを見ているのとは随分と違うと感じました。
当時のブログなどを読み返してみると、自分の無力を感じたり、音楽というもののあり方など、多くのことを考えさせられました。それらの想いは今でもずっと心の中に残っています。私はあの震災を経て、音楽に対する姿勢もだんだん変わってきました。
当時私が40代ということもあり、もう力だけで押し切ってしまうやり方では、活動は無理だと感じていて、自分に出来ることと出来ないことを見極めようと、考え始めていた頃にあの震災がありましたので、まだ従来の琵琶の形式を引きずって、そこを越えられなかったものを、震災後に大きく自分なりのやり方や形に変えていったのです。2011年の秋に出した6thCD「風の軌跡」は、そんな私の中の想いの果てに作った作品でした。

日本人はある程度年齢が行くと、どうも丸くなってこじんまりと収まってしまう人が多い。意見はおろか、ものも言わなくなり、軋轢を避け、穏やかさを装い大人を気取るような人が多い。音楽でも大人しいもの、伝統的なものに帰ってゆくことを大人の音楽などという傾向があるけれども、私はそういうあり方は決して良いとは思っていません。
日本人のこうしたあり方は、よく言えば恨みも残さず、争いもせず、穏やかなあり方とも言えますが、逆を言えば、過去を教訓とせず、雰囲気に押し流され、なあなあの体質の中で自分の位置だけを確保して、のんびりと自分という小さな世界に安住してしまうということです。現状を改革して、より良くしようという姿勢は感じられません。もう少し言うと次世代に対する責任放棄ともいえるような気がします。


私の目指し、憧れた音楽家は最後まで戦い続け、追求し、大きなものを我々後輩に残してくれました。マイルスも、パコ・デルシアも、ピアソラも、永田錦心、宮城道雄・・・、皆はっきりとものを言い、戦うべき所ときっちり戦い、周りの雰囲気に迎合せず自分を貫き、次世代に大きな道を残してくれました。その志をどれだけの人が受け継いで行ったのか・・・?。作ってもらった道の上に胡坐をかいて、己の世界に閉じこもり、目を外に向けようともせず、自分を取り巻く小さな村の中で満足して安穏としてはいないか・・・?。
この震災は、現代の日本人に多くのものをもたらしました。しかしそこから目をそらせて、日々楽しく過ごしていることは平和な証拠とばかりに、毎日をネットやTVの快楽に逃げていたら、この経験や教訓を次世代に受け継ぐことは出来ません。もう東京では震災について語る人は少なくなりました。あれだけ震災後は食の安全や放射能のことを報道していたのに、今では大食い選手権など面白がってやっています。私のような無力の人間でさえ、これからの日本はこれで良いのだろうかと思えて仕方ありません。
邦楽や琵琶楽も同じこと。衰退の極みにありながらも、現状維持で何も変わろうとしない姿勢の先に未来がある訳がないのです。
