師走の風2017

先日、今年最後の本橋富沢町樂琵会をやってきました。

両性具有の姿を持った津村先生の舞姿(photo MAYU)

今回は私のソロ、筑前の平野多美恵さんと私のデュオ、そして津村禮次郎先生と私とのデュオコラボという構成でしたが、ヴァリエーションがあって華やかなプログラムになりました。津村先生との曲は「良寛」の舞台のラストシーンで弾いている「春陽」でしたが、津村先生は今回、女面(多分増女だと思います)を付け、左側が女性、右側が男性という両性具有の姿となり、性を越え、過去から現在までの時間軸も越えて、新年に向けた祈りをテーマに舞ってくれました。「良寛」の舞台のときも単に良寛としてでなく、良寛を取り巻く多くの命の象徴として舞ってくれましたが、今回は更に哲学性を増して新年への寿ぎを表してくれました。

(photo MAYU)

昨年に続き、今年も津村先生を迎えて、素晴らしい舞と琵琶の演奏で締めくくることが出来、実に華やかな会となって本当に嬉しい限りです。多くの縁に囲まれて生きていることを感じずにはいられませんね。一年の締めとして嬉しい会となりました。

私は活動の最初からずっと自分の作曲作品で仕事をやらせてもらってます。邦楽では稀な例だと思いますが、今ではそのやり方が本当に良かったと思っています。そうでなかったら、邦楽の多くのしがらみに囚われ、こうして色々なジャンルの芸術家と関わることは出来無かったことでしょう。芸術は、創作でも活動でも、先ず第一に「自由」であることが第一条件です。その「自由」な精神は広い視野を生みます。自分を取り巻くものにしか目が行かないようでは舞台は成立しません。世に溢れるすばらしい人間の作り出した芸術を見聞きし、体現することが、結局我が身の豊かさと成ってゆくのです。私は約20年程の琵琶奏者としての活動の中で先輩方々から教わったことは、この「自由」の精神です。

(photo MAYU)
「一区切り」。このところ何かにつけてそんな感じが自分の中に満ちています。年明けに出るCD「沙羅双樹Ⅲ」を創ったことが大きいのですが、その内容が8枚目にして、1stCDの後を受け継ぐような内容になったこともあり、自分の活動してきたこの20年が一つの段階を越え、次ぎの場所に行くような気分がしてならないのです。
樂琵琶も薩摩琵琶も、ようやく自分の手の内に入った、とでも云えば良いでしょうか。樂琵琶はレパートリーが充実しましたし、薩摩でも「弾き語りをやらなければいけない」という因習から解き放たれ、自分の演奏すべき音楽がやっと充実してきたと思います。勿論、これからもこんな曲を創りたい、こんな活動をしたい、という想いはこれまで以上にあるのですが、今まで何かガツガツしていた感じが無くなり、しっかりとレパートリーもそろって、演奏のスタイルが本当の意味で定まったといってよいかと思います。

ここ数年声に関して色々なアプローチをしてきましたが、今年はきっぱりと「声はメインにしない」決心がついたと思っています。どこまで行っても私は琵琶の音を聞かせることが仕事。歌手でも語り手でもないのです。声に気をとられて、琵琶を鳴らせないようではお話にならない。琵琶奏者というからには、最高の琵琶の音を響かせてナンボだと、遠慮なく言えるようになりました。
永田錦心先生も「琵琶村」という言葉で、その当時の小さな意識に囚われている現状を大変に嘆いていましたが、それは今でも全く同じです。何を置いても琵琶の音を第一に考えられないようでは、演奏家とはいえません。私はこれからも、誰に何を言われようとあの妙なる音を追求して行きますよ!。

塩高モデル

来年は余計なことをなるべくそぎ落として行くつもりです。元々誰よりもやりたい事をやりたいようにやってきましたが、来年は更に加速して行こうと思います。
来年が楽しみになってきました。

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