先週、私の大好きなバリトン歌手ディミトリー・ホロストフスキーさんが亡くなりました。彼は私と同い年なのです。数年前に脳腫瘍であることを発表し、舞台から離れていましたが、2015年に見事に復活して、私もライブビューイングで堪能していました。これからはオペラとは別分野でまたあの声が聞けると思っていたのですが・・・。

このところは大分体調も思わしくなかったようです。それにしても早過ぎる。あまりにも・・・・。
復活の舞台「イル・トロヴァトーレ」を観た時の記事
https://biwa-shiotaka.com/blog/51378161-2/
俳優ばりの絵になる姿と圧倒的な声の力は、他の追随を許さないという言葉が一番似合うような、唯一無二の存在でした。
この歌声がもう虹の彼方へと旅立ってしまったと思うと、何ともいえない気持ちです。
考えてみれば私は彼の一番良い時の舞台を観ていたともいえます。若い頃から有名で、その二枚目っぷりも合わせて本当にファンを魅了してくれましたが、晩年のあの絶頂ともいえる、心身ともに充実した舞台を観ることが出来、本当に幸せだったと思います。
また個人的に、あの声を聴いて「自分はやはり歌う人ではない」という認識をあらためて持つようになりました。彼や彼の仲間達の世界超一流の舞台を何度も観ていて、「歌う」ということの深さと厳しさを心底感じました。歌うということは、人生をかけるということです。生半可なことでは舞台に立って歌えない。自分も声を使う音楽家として、大いに思うところがありました。私はもともと器楽志向なのですが、より器楽へとシフトして行ったのは、こうした世界最高の舞台を観て、彼らの歌う姿、舞台に立つ姿に大きな感動をしてきたからです。
以前某先輩から「琵琶で呼ばれているうちはだめだ。塩高で呼ばれるようになれ」と叱咤激励されましたが、音楽を生業としてゆくには、中途半端なものでは成り立ちません。私は琵琶を手にした時から、とにもかくにも器楽としての新たな琵琶楽を確立しようと思っていました。今もそれが私の使命だと思っています。琵琶楽は弾き語りが中世以来のスタイルですので、その部分も自分なりに継承しますが、あくまで器楽としての琵琶楽を確立するのが私の音楽でありスタイルです。
勝手な思い込みでしかありませんが、ホロストフスキーさんの訃報を聞いて、あらためて彼の舞台を動画でみていたら「お前は今やるべきことをやり、行くべき道を行け」と背中を押されたような気がしました。
年明けに8枚目のCD「沙羅双樹Ⅲ」を出しますが、このCDは器楽としての琵琶楽を改めて宣言し、私のこれからの道筋を示す内容になっています。ホロストフスキーさんの死は何か私の中で大きなきっかけになっていくような気がしました。

人生は思う通りにはいかないもの。重々判っていながらも、思い通りに行かない現実は寂しいものです。逢いたい人と逢えないのも、自分の気持ちが伝わらないのも、やりたいことが出来ないのも・・・・。人間はどこまでも欲望からは逃れられないものなのでしょうね。また言い方を変えれば、欲望こそがこの世を作っている、といえるのかもしれません。
思い通りに行かないのも、縁ということなのでしょう。もの事のその原因が自分であれ、他であれ、それら全てが、縁によって導かれているのだとよく感じます。ホロストフスキーさんの歌をいつか目の前で聴いてみたいと思っていましたが、とうとう果たせませんでした。これも一つの縁であり運命ですね。
人は思い通りに行かないからこそ、明日を夢見るのかもしれません。