まだまだ蒸し暑い日々が続きそうですね。私は少しづつ夏バテの身体も回復して、いつもの体調に戻ってきました。
今日から愛知に行ってきます。名古屋で尺八の矢野しくうさん、筝の浦沢さつきさんと小さなライブをやって、その次は豊田の寺部八幡宮での公演、その後、知多半島のお寺にて、矢野さんとともに演奏会と続いています。


これまで真夏はあまり地方公演が無かったので、ありがたいことです。来月からは8枚目となるCDの制作に本腰を入れる行きますので、この時期に公演があるのはちょうど良い感じです。
こういう時期にも、相変わらず打ち合わせやリハーサルは連日ありますので、いろんな方に会いますが、皆さん本当に自由な方々ばかりで嬉しいですね。自由な感性を持った人と一緒に居ると、こちらの発想も広がりますし、いろんな面白いことが身におきるのです。こんな方々に囲まれているからこそ、今までやってこれたという想いも年々強くなってきます。先日もヴァイオリニストの先輩とゆっくりお話させていただきましたが、話をしているだけで、何か自分の中に元気が沸きあがってきました。
勿論この時代、音楽家芸術家として生きてゆくのは並のことでは出来ません。皆さん大変な努力をしていらっしゃいます。そういう姿もまた見ていて共感を感じられますね。
日本には雄大な富士山があり、豊かな海も土地もあり、山海の恵みを太古の昔からもたらしてくれます。またこの素晴らしい国家は世界一長い歴史と文化を持っていて、更に現代では世界的にも稀な豊かな経済が生活を支え、犯罪率も低い。これだけ自由に安全に暮らせる環境にあることは実に幸せなことだと思います。しかしその一方で、まだまだ全体としては音楽家の目は外に向かないですね。小さな村意識に囚われている例はジャンル問わず、残念ながら結構あります。
「スイス500年のデモクラシーと平和は何を生んだ?。鳩時計さ」とは名言ですが、平和過ぎるのも現代においては・・・・?。
日本は今、平和、安全とも言っていられない時代に入ってきたのは確かなこと。情報も世界同時に共有でき、グローバルにあらゆるものが繋がってゆくこの現代においては、もう鳩時計ではいられないのです。
政治だろうが、音楽だろうが、人々の暮らしだろうが、世の中と共にあってこそ成り立つもの。いくら意地を張っても、時代に合わないものは淘汰されてゆくのです。まさにパンタレイであり、諸行無常なのです。

音楽という部分を見ても、もう村意識で小さなサークルに固まっていたら、衰退と消滅しか待っていません。意識も音楽も時代とともに変化してこそ、存在意義があるのではないでしょうか。
私は、これまで個人のHPを琵琶奏者の中では一番早く作り、CDの発表、ネット配信等どんどん時代に即して、出来るだけのことは誰よりも先駆けて実践して来ましたが、活動以上に、音楽そのものが変化していかなければ意味はありません。小さな世界の特殊なルール・感性・常識は外では通用しないのです。以前も書いた「ジャンルはマニアが潰す」といった某プロレス団体の社長の言葉も、こういう時代になってみると、更によく実感できます。

どこまで出来るかは別として、私は国内でも海外でも、珍しい民族音楽という形でエキゾチックなものを売りにする気はないのです。パコ・デ・ルシア、アストル・ピアソラ、宮城道夫・・・。皆民族音楽などという小さな枠で作品を出してはいません。世界基準の芸術音楽として世に発表しているのです。私はそんな先達の様には、とてもいかないかもしれませんが、その志だけは捨てたくないですね。激動しているこの時代に、音楽家として生きるということはどういうことなのか。考えるべきことは沢山ありますが、私のような小さな存在は、一歩一歩思うところを歩むしかありません。
これからもぶれずに充実の演奏会をやってゆくしかないですね。では行って参ります。