先日の高円寺稲生座ライブは、たっぷりと楽しませていただきました。

以前ヴィオロンに出てもらったときの「朧月」トリオ
愛子姐さんは、あの独自の世界観に更なる磨きがかかり、魅力が増してましたね。本来舞台は、奏者の持つ世界を表現してこそ成り立つもの。お上手を披露する場所ではないのです。愛子姐さんのような、まじで音楽をやっている人にもっともっと登場して欲しいですね。本当に良いライブでした。
私の後輩は初めて愛子姐さんの世界に触れて、もう感激しきり!。きっと何か独自の世界を創ってくれると思います。期待してるぞ・・・・!。
更にはここ数年会っていなかった琵琶仲間のK君がひょっこり来てくれて、愛子姐さんを交えて琵琶トーク全開。最高でした。音楽の現場に居るという実感がぐいぐいと溢れてきましたね。これこそが今、邦楽が見失ってしまったものではないでしょうか。重い鎧を着込んでいたんでは、音楽をやりようがない。ろくに息も出来ないでしょ?。

舞台に立つというのは、現実の生活とは違う異空間に身を置くということ。逆に普段の生活がどうにも見えてしまう人、異次元空間に行けない人は舞台人には成れない。良くも悪くも我々は常に夢の中を旅していると言っても過言ではないですね。舞台で生きる実感を得るということは、夢の世界を生きるということでもあるのかもしれません。私のように毎日夢を見る人間には、天職かな???。
私は相変わらず毎日夢を見ます。厳しい夢や辛い夢は全く見ないのですが、荒唐無稽な訳の判らない夢が多いです。この間は40年近く前にお世話になったギターの先生(故人)が出てきて、じっくり会話をしました。そうしたら急にYoutubeでその先生の動画の紹介が出ていてびっくり。何だか誰かに操作でもされているんじゃないかと思ったほど!?。
そしてその演奏をあらためて聞いたら、これがなかなかいいんですよ。正直な所、その先生には色々な面でお世話になり、多々感謝しているものの、これまであまり上手いギタリストではない・・・・?なんて勝手に思っていたのですが、40年を経て聴いてみたら、音色はいいし、タッチもよい。かなり技術的にも上を行っている。フルコピーものなんてことも難なくやっているし、フレーズが歌っているんですよ。今頃になってそのレベルを思い知りました。あの頃は何にも判らなかったんだな~~~。我ながら何をやっていたんだか・・・。ちゃんと聴け!と喝を入れられたようでした。
今年の3,11 福島の安洞院にて津村先生と
最近は演奏会が一段落付き、体の疲れもだんだん取れ、気持ちにも余裕が出てきたからでしょうか、妄想パワーが全開に溢れ出ているようです。普段の生活に於いても、いつも小さな発見や展開があり、ちょっぴり視野が広がったり、驚いたりしながら、少しづつ身を取り巻くものが動いているのを感じますが、夢の世界の場合は、現実のそれよりも、かなり刺激が強く、映画を毎日一本観ているような感じです。
極めつけは夢の中で、更なる夢が出現するという。複式夢幻能も真っ青な夢がありました。世阿弥もびっくり!。夢の中の会話で「この間と違う風景を感じる」なんていう台詞を吐いて、夢の中でもう一つの夢ともいえるパラレルワールドに迷い込んだ自分を認識しているというのですから大したものです。夢の中で、そのまた奥の夢の世界を彷徨っている私はいったい・・・?。どういうことなんでしょうね・・・?。

夢からはどんなメッセージが来ているのでしょう??。残念ながら、私にはそういう特殊能力は無いので判然としませんが、毎日のように夢を見て、舞台で生きるというのは、夢の世界を生きろ、という私に与えられた最大のメッセージなのかもしれません。それにどんな夢であれ、常に音楽家、そして舞台人であれ、というところに結びついているのは確かなこと。
夢はいつもネガティブにもポジティブにも、その時々の自分の心の中をどこかに反映しているように思います。願望、囚われ、欲求、満足・・・・。あらゆる感情の中に生きざるを得ない自分に、様々な夢を通して、いつも何にも囚われない自由な精神を確認させてくれる。夢は私にとってそんな存在です。

自分脳が夢を作り出しているのか、はたまた何かの存在が私に夢を見せるのか・・・・・?。いずれにしろ、夢の中を生きると
いうことは幸せなことなのです。これからも自由に夢の世界を羽ばたいて行きたいですね。