集うということ2017

昨日は、3,11追悼・哀悼・支援集会「響き合う詩と音楽の夕べ」を一足早くやってきました。いつもは3月11日に地元のルーテルむさしの教会でやっているのですが、今年は、この所お知らせしているように、11日当日は福島の安洞院でやることになり、東京では前倒しで色々な仲間達と集ったというわけです。

         

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2017-3-4-3東京組は、筑前琵琶の平野多美恵さん(左写真)、尺八の吉岡龍之介君、山口亮二ギターの山口亮二君(右写真)、声楽の富塚研二さん、そして「良寛」の舞台で御一緒した俳優の小原正人さん、秋元史人さん。最後の締めはいつもの折田真樹先生率いるオーソドックス合唱団という面々です。

東京の方は、哲学者であり、詩人であり、戯曲作家でもある和久内明先生のプロデュースです。「良寛」の舞台をきっかけに、先生には本当にお世話になっていて、その活動に共感していますが、舞台以外でも、こうして色んな仲間が集ってくる機会を頂く事に感謝しています。

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集うことで色んなものが生まれますね。今回のような追悼の会にしても皆が集る事で形になり、寄付も集ってきます。私は音楽活動を通じ、多くの人と関わって来ましたが、自分の内にこもって「判る人にだけ聴いてもらえれば良い」という考えを持っていたら、活動もここまで広がらなかったでしょう。

かつて永田錦心は「琵琶村」という言い方をして、琵琶界のオタク状態を厳しく指摘していましたが、現在の邦楽や琵琶の世界はどうでしょうか。皆が集い、また外に対し開かれたものになっているでしょうか・・・・?

人は集うことで生きています。集い、社会を形成する事はまさに生きることであり、また人は社会の中でしか生きることは出来ないともいえます。それゆえ人と人とのつながりこそが、自分の人生を決めてゆく。自分ひとりで勉強して、努力しても、それを社会の中で生かさない限り、何もならない。スキルや肩書きを追い求めても、人との関わりを第一にしない限り、仕事は成就しないのです。

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私は人との出逢いで生かされてきたという実感を強く持っています。琵琶を手にするきっかけ自体が作曲の石井紘美先生の勧めでしたし、樂琵琶を始めるきっかけも笛の相方、大浦紀子さんの勧めでした。私がこうして演奏会を飛び回っていけるのは、多くの人に支えられているからです。少なくとも演奏会は、人との出逢いが無ければ実現しませんし、また人が集う場所でもあるのですから、多くのコミュニケーションが成り立って始めて形を成すのです。私はその媒介となっている部分もあると思います。

さてもう今週ですが、11日は福島で詩人の和合亮一さんの書き下ろしの詩と私の琵琶が対峙します。その他、能楽師の津村禮次郎先生、女優の夏樹陽子さんと私で、戯曲「良寛」の最新版を上演してきます。和久内明先生の書いた「良寛」もかなりの再演をしてきていますが、今回はサイズもコンパクトになり、その分伝えるべきところも、しっかりと届くのではないかと思います。

人が集うことから生まれる、素敵な瞬間をこれからもどんどん音楽を通して体験してゆきたいですね。

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