心の風景2016

お盆休みで、少し都会も静かになりました。普段の東京は人が多過ぎなので、この位が良いですね。
ここ一ヶ月間のバカンスでは、色んな人と会ったことで、音楽以外のものや、邦楽以外のジャンルから多くのことを学びました。まあいつもそうなんですが、音楽以外の出会いから学ぶことが圧倒的に多いですね。音楽の中だけに居ると漠然としているものが、色んな分野のスペシャリストの方々と話すことで、かえってはっきりと認識することが出来るのです。何を学んでいるかというと、つまりは「心の在り方」。これに尽きます。

takemura
版画 竹村健

先日も武道のお師匠様から、拮抗ということについて色々話を聞き、自らの体で体験することで納得することがありました。
人間は外側からの力に対抗しようとすると、先ず防御しようとしてどうしても体が硬くなります。そしてその向けられた力に囚われ、本来色々な可能性を自分で持っているにもかかわらず、視野が狭くなり、周りの状況の判断が鈍ってきます。しかしパワーに対しパワーで答えずに相手の力に身を任せるようにすると、先ず冷静に自分の状態を分析できるので、ハンデがある分かえって今自分が出来ること、自らの可能性を自覚し、相手の力を利用して色々な方向に体制を持って行くことが出来ます。

こういう事は頭ではずっと考えていましたが、自らの肉体を通してはじめて納得できるものがありました。俗にいう「腑に落ちた」ということです。この体験は大きかったですね。音楽以外の所でこういう体験は本当に沢山あります。そしてこれは外敵ということでなく、実は自分の中でこそ起こることでもあります。

30代から40歳位迄の私は、ただがむしゃらにパワーで押し切るような力の入れ方をしていました。それは言いかえれば若さの魅力とも言えますが、そんな力で押し切るような心の在り方がいつまでも続く訳がありません。心よりも先に肉体が悲鳴を上げてしまいます。自分では若いつもりでも肉体は確実に年を取って行くのです。つまり自分の肉体を無視して、パワーで押し切ろうとしていたんですね。これ位出来るはずだ、根性を入れれば何とかなる、と思っていたのでしょう。

結果急に声が出なくなったりすることが頻繁に起こり、自分でも訳が判らず困り果てていました。以前から声を使わない器楽の作品をメインに取り組んでいたので、これはまあ一つの契機ともなり、けっして無駄な時間ではありませんでしたが、こと声に関してはネガティブ思考に陥っていました。

e-弁天6

有難いことに多くの方に出会い、気付きを頂き、何とか自分の中の間違った方向を自覚し、自分の可能性も改めて見えて来て、自分のスタイルが見えて来ました。しかし私のような天邪鬼は何年も何年もかかって少しづつ心も体もほぐして、変わって行くしか出来ないのです。正に牛歩というのにふさわしいスピードで一つ一つ繰り返し繰り返し、自分の心を解放して今に至ります。
これからも更なる世界を目指したいですね。何かに拮抗しようとする心では問題は解決しないし、そこに生産性も、芸術性も、洗練も成熟もあり得ません。何しろ魅力ある音楽を創りたいです。

20代の頃、お世話になった恩師が、「音楽のプロになるのなら、音楽とは関係ない趣味を持ちなさい」と言ってくれたのですが、今になってみると、音楽を離れ、色々な人と繋がって生きることの大切さが身に沁みます。

果ては無いですね。
さて、明日からまたバリバリ演奏会が続きます。今夜はアイドリングしっかりしておかないと!!

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