熱狂的声楽愛好のススメ XXII~Met「ロベルト・デヴェリュー」

この所ずっと忙しくしていて、オペラやバレエ等ゆっくり鑑賞する時間も余裕も無かったのですが、やっと一段落ついて、久しぶりにMetを堪能してきました。

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今回観たのはドニゼッティの「ロベルト・デヴェリュー」。話はイギリスのチューダー王朝の女王3部作の一つで、以前このブログでも書いた、ジョイス・ディドナートが主演した「マリア・ストゥアルダ」もその一つ。今回はエリザベス女王の物語です。ディドナートも超の付く貫録の舞台でしたが、今回も負けず劣らず凄まじい圧巻の舞台でした。久しぶりにガツンと楽しみました!!。
先ず今回は出演者がばっちり私好みなのです。先ずは大のお気に入り、エリーナ・ガランチャ。

img_9数年前にこの人のカルメンを観た時からもうやられっぱなしで、若手のメゾでは一番のお気に入りです。ズボン役も結構多く、役者としても他に無い独自の魅力を持っています。歌唱の方も年々充実してきているようで、聞く度に迫力を感じるようになりました。今回の役柄も表情といい、歌といいとても充実していて、益々魅力が溢れて行くようでしたね。メゾではディドナートの次を狙う存在として、何といってもこのガランチャが一押しなのですよ!。

そしてタイトルにもなっているロベルト役のマシュー・ポレンザーニ。彼も以前Metで観て、その声にグググっと惹かれました。こういう美しくのびやかな声質のテノールは少ないですね。私も一度でいいからこういう声で歌ってみたいものです。今回も実に素晴らしい声質を披露していました。ガランチャとの二重唱をちょっと聞いてみて下さい。

声を扱う者として、この歌唱力、美しい声質はとてもとても惹かれるものがあります。邦楽の歌い方ではありませんが魅力的ですね。私は元々声楽が好きで、20代の後半辺りから古楽に凝りだして、リート、アリア等聴きあさっていました。今でも声楽のCDが一番多いくらいなのですが、私が琵琶奏者として器楽の方に比重を置くようになったのは、ここ4,5年オペラにじっくりと親しんで、世界の一流の歌手達の歌を聴き、「声がこれだけ表現するんだ」ということをオペラから学び、同時に「声楽は俺が仕事にするべきではないな」と実感したからです。

img_6さて今回の主役は何と言ってもソプラノのソンドラ・ラドヴァノフスキー。その歌唱は凄まじいレベルのもので、正に圧巻の歌唱でした。ばっちりとやられてしまいましたね。第一幕でのアリアなどグルベローヴァを最初に聞いた時のような衝撃でした。飛び抜けた技術とはこの事ですね。特にこの作品は歌唱力が必要な難しい作品だそうですが、物凄いレベルです。後半に行くにしたがって、演技力も加わり、観ていて彼女の歌うエリザベス女王の感情が、そのままダイレトに私の上に降ってくる来るようでした。ネトレプコなんかとはまたタイプの違う超ハイレベルな歌手ですね。今回がMet出演200回だそうですが、世界には凄い人がまだまだ居るんですね。この幅の広さ、層の厚さがやっぱり「世界」なのですね。邦楽はいつまで経っても日本の中、それも限られた中でしかない。残念です。いったいどこを見ているのやら・・・・。

では、ラドヴァノフスキーの歌を少しばかり

独唱の所が圧巻だったのですが、ご興味持った方は是非ライブビューイングを観に行ってください。これだけの細やかな表現を自在にコントロール出来るテクニックというのは素晴らしい過ぎます。声楽の世界に詳しい訳ではありませんが、次世代のグルベローヴァという感じでしょうか。
この衣装も凄いですね。ちょっと歌舞伎の女形みたいですが、Metは何しろ衣装に凝っているんですよ。こういう所に手を抜かない姿勢が好きです!。以前国内のオペラで、主役以外はユニクロのスーツみたいなのを着て、手抜きもいい加減にしろ!と叫びたくなるような舞台がありましたが、お客様は舞台全体を観ているので、少しばかり歌が上手とか、弾くのが上手いなんていう意識では良い舞台は出来ないのです。演奏技術は勿論のこと、衣装から所作、プログラム、照明、音響等々全体を見渡す視野で舞台を創っていかなくては、いつまで経ってもおさらい会の域を出ることは出来ません。

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豊田能楽堂にて

オペラは現代の生活からはかけ離れている話ばかりなのですが、今の日常とリンクする所を沢山感じます。それは歌舞伎でも古典文学でも同じだと思いますが、私はこういう所があるからこそ、共感も感動も生まれるのではないかと思っています。
今、邦楽に於いて「古典を演奏するとは何なのか」、もう一度考えるべき時ではないかと思います。あまりに邦楽と日本の社会が乖離しすぎている。自国の歌を歌えず、古典もろくに知らない。それが普通だと皆が国民が言い張っている国が良い状態にあるとは思えません。アイデンティティーも何も無い。経済も国力も落ちている今こそ、古典の力を日本人に取り戻す時なのではないでしょうか。
演者は古典をやっていると何か高尚なものをやっているような錯覚に囚われるのかもしれませんが、その類いの満足感でやっていても何も観客には伝わりません。もっともっと古典をやるとはどういうことか考えるべきです。色々な問題があるのだと思いますが、どんな時代に在っても芸術家は世の常識、因習などを乗り越えて表現し、次の時代を見せてくれるもの。邦楽人が本当に芸術家なのだったら、時代がどんなであれ、日本の音楽の心を伝えることが出来るでしょう。今こそ邦楽人の出番です!!。

オペラに身を浸し、人生を堪能しながら、邦楽の未来を憂いたひと時でした。

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