先日、星川京児さんのお葬式に行ってきました。
一噌幸弘さんの笛が鳴り響く中、星川さんの棺が旅立つ所では何とも言えない気持ちになりましたが、生き残るのも旅立つのも、またそれぞれの運命。これもはからいなのでしょうね。
1st 「orientaleyes」
これは私の1stアルバム。14年前にリリースしたものですが、何時もネタにしている「T師匠と同じ音がする」という言葉は、星川さんがこのCDの最初の音を聴いて言ったのです。これは今での私の一番のお気に入りの作品でもありますが、本当に鋭く、且つ暖かい言葉を常に投げかけてくれました。前のブログにも出した2ndアルバム「MAROBASHI」では「やはり声はT流。血は争えないと見える」と評して、声や唄い方もよく似てると言われました。嬉しいんだか怒られているんだか・・??
星川さんは、一緒に居ると常に周りを楽しくさせてしまう人でしたが、そのエネルギーに触れていたことが、そのまま私のエネルギーになっていたんでしょうね。
今になって星川さんの数々の言葉が私の中に次々と甦っています。その言葉一つ一つに導かれて今ここに在るのかな、なんてことを思っています。
私は、どうにかこうにか今迄まあまあ順調に活動を重ねさせてもらいました。別に売れた訳でも何でもないですが、こうして琵琶を生業として生きて行けることはありがたいことであり、支えてくれた星川さんのような先輩達のお蔭でもあり、また運が良かったと思っています。私の演奏や舞台を観て、お客様は何かを感じ、想いを持って帰ってくれただろうか。星川さんのような影響力はないとしても、私も舞台人の端くれ。舞台を観た人が、何かをつかんで想いを持って帰って頂けたのだったら嬉しいですね。
舞台は観る人、演者スタッフなどなど関わる人すべてにとって異空間であり、特別な時間です。もっと言えば舞台とは一つの命であり、舞台が終わるとはある種の死でもあるのかもしれません。観客にとって舞台が終わるということは、今まで目にしていた実態が消え去り、自分の中に想いや感動だけが残るということです。心の中だけにその舞台は遺こされ、その想いをま
た自分の人生の中に刻み明日を生きて行くのです。

考えてみれば星川さんとの出会いは舞台の始まりであり、今その舞台の幕が下りた、ともいえます。上の写真の頃、私は琵琶奏者としての第一歩を歩み始め、その頃星川さんと出会った事を思うと、一つの舞台が今終わったのだと思えて仕方がないのです。もう本人の実態は無くなってしまいましたが、想いや言葉が遺され、その言葉が私の明日の活動の糧になって行く。つまり星川さんの肉体的な死は、私の次の舞台への序章とも言えるのかもしれません。
まだ元気だったころの母と
先日亡くなった母も多くの言葉を遺してくれました。私は、「親というものは有難いものだ」と亡くなってから想う親不孝者ですが、涙も乾かぬままに葬儀を終え、仏壇の中を整理していたら一枚のメモが出てきました。母は最期の数年寝たきりで、会話も出来なくなっていましたので、多分この写真の頃、まだ少しは動ける時に書き遺したようです。穏やかという言葉が一番似合う母らしい言葉が最後に遺りました。
「元気で長生きして下さい。また会いましょう」