雨降りやまず2015

秋の風情が気持ち良い季節となりました。芸術の秋ですね。

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箱根の山

先日はお世話になったH氏の命日でした。今年は線香も上げに行かず、氏がよく行っていた店で舞台の先輩とゆっくり呑んで来ました。いつまでも想い出を語られるのは氏も暑苦しいでしょうし、私自身も卒業して行かなければいけないという想いもありましたので、あえて氏の仲間の皆さんにも連絡をしませんでした。後日皆さんとはゆっくり会いたいと思っています。

seingakubiwaH氏がいつも弾いていた琵琶
氏は仲間から大変慕われた方でしたが、仲間達それぞれの人生を全うすることを常に願っていた方ですので、自分なりに生きて行くことが出来ていれば、それが一番の供養かな、とも思います。今の私の活動は氏の願った形ではないかもしれませんが、これが私のやり方であり、私なりに氏から受け継いだものを実践しているのではないかと勝手ながら思っています。
氏の記憶はこれからもずっと私の中に続いて行くことでしょう。そういう意味では「雨降りやまず」なのですが、もうその想いは悲しさや寂しさではなく、一つの記憶として私の中に残っています。またこれが一番良い形ではないかな、と思えるようになりました。

ポプリホールにて、フラメンコギターの日野先生と


人間は肉体を持ち、その肉体も年と共に老い、ついには空しくなってしまいます。それ故、肉体に囚われて生きているともいえるのが人間というもの。容姿を気にしたり、
病気に悩まされたり、自らの感情に振り回されたり・・・。まあキリが無い位幻想を抱え込んで生きている
のが人間です。勉強すればその知識に囚われ、肩書きをもらえばプライドに振り回され、自分を飾り、どこかに所属しているということで安心したり・・・、まあ本来の姿のままで生きて行けないのが現実ですね。
世の中は相も変わらずパワー主義がまかり通る世の中ですが、なるべく色々なものに囚われない本来の自分らしい生き方をしたいものです。なにものでもない一個人として、幻想の鎧はなるべく脱ぎ捨てて自分の人生を全うしたいですね。以前の私は様々な意識や、勘違いしたプライドにがんじがらめになって、結局その影響が肉体にも出始めていました。その頃氏に出会い、一つ一つをほぐされ今に導かれたのです。色々なことを教わりましたが、囚われないということがH氏から教わった一番大きな事でしたね。きっと氏も今頃こんな私を笑って見ている事でしょう。

出雲崎2

昨夜はまたあの葬儀の日と同じく、雨の夜となりました。しかし今年の雨は悲しい雨ではなく、これまでの想いを乗り越え、新たな自
分の人生を歩むためのみそぎの雨のように、ゆっくりと我が身に降りかかりました。何事もそうですが、次のステップに進むには時間がかかります。私もやっと
ステップを一つ上ったようです。

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