先日は、日経新聞の記事に沢山のエールを頂きまして、誠にありがとうございました。大変反応が大きく、私もちょっとびっくりしました。この場をもってお礼に代えさせて頂きます。これからもどんどんと活動を展開して行こうと思っていますので、是非とも御贔屓にお願い申し上げます。

記事では樂琵琶の事ばかり書いてありましたが、薩摩琵琶もどんどん弾いて行きますよ。ただいわゆる従来の弾き語りのスタイルは少なくなって行くと思います。弾き語りはやるべき人がやって行くでしょう。私は私の音楽を追求します。薩摩琵琶では現代音楽的なアプローチや、声や唄を使った今までに無い形をもっとやって行きたいし、独奏曲も更に作りたい。樂琵琶の方も雅楽という枠ではなく、汎アジアという視点を持って色々な作品を作って行きたいと思います。
若き日
私は有難い事に、15年ほど前から色々とメディアには取り上げて頂いていたのですが、今回ちょっと整理する意味で、以前のインタビューや掲載記事等読み返してみました。
昔から言いたい事を吠えてますね。言ってる内容も今と同じ。雑誌的には私のような反乱分子は面白いのでしょうが、30代の頃邦楽ジャーナルに書いた長文など、ここまで言っていいんだろうか?という位言いたい放題。
ジャズから始まった私の音楽人生ですが、邦楽の世界に入ってみて、これほどまでに名前や肩書きにすり寄る人がいるとは思いもよりませんでした。また邦楽界の低迷がそこにある事も痛感しました。そんな想いを吠えまくっていたんでしょうね。
それにしても邦楽はこれから変わって行くのでしょうか。本当に音楽をやる事が出来るのでしょうか・・・・・・?。

今邦楽にはこの素直さがあるとは思えません。我々は舞台が全てなのです。偉い先生でもお名取さんでも、大学の先生でも、はたまた私のように何にも書くことが無い人でも、舞台に立ったら皆同じ演奏家です。とにかく舞台がつまらなければお客様は二度と来てくれない。音楽は一般の方が聴くものなのだから、現代に生きる人々の感性に訴える力の無いものは、すたれて行っても仕方がない。解りやすくするというのでなく、何か魅力を感じさせることが必要なのです。
皆さんはお上手なものではなくて、素敵なものを聴きに来ているのです。核心を伝えながらも、感性は柔軟に時代に対応して行かないと伝わりません。村の中の価値観やお上手さは、現代社会に生きる一般の人には通用しないのです。仲間内にしか見えない重い幻想の鎧はもうそろそろ脱ぎ捨てて、素敵な舞台をやろうじゃありませんか!!!

とにかく素敵な琵琶の音を聴かせたいのです。かつて私はジミヘンやヴァンへイレンに衝撃を受け、ジェフベックに涙し、マイルスやコルトレーンにやられ、ウエスやジムホールに心酔し、青春時代を過ごして来ましたが、いつか次世代の若者が、純粋に音楽として私の残した作品を聴いて何かを感じてくれたら本望です。
まだまだ長い旅は続きそうです。