先日、箱根やまぼうしにて演奏してきました。このやまぼうしでは昨年も演奏の機会があり、また是非やってみたいと思っていましたので、お話を頂いて嬉しかったです。今回は樂琵琶も持って行って、啄木も演奏させて頂きました。

やまぼうし http://www.mies-living.jp/termsofuse.html
とにかく素晴らしい所なのです。緑に囲まれ、芦ノ湖のすぐ近くという立地の上、建物も空間も、こうした催しやサロンコンサートには申し分ない条件が整っているのです。
ちょうど大涌谷が話題になっているこの時期ですが、離れているせいか全然心配は無く、お客様もリラックスして、とても良い雰囲気で演奏が出来ました。今回もいつもお世話になっているICJCのDr.アマトさんが通訳(超訳)をしてくれまして、外国の方にも楽しんでいただきましたが、演奏後の質問コーナーでは、Hzの話やリズムなどについて、結構レベルの高いお話が出て、充実した会となりました。
こういう演奏会は大好きですね。演奏活動を続けていれば、色々な現場に出会いますが、演奏していて気持ち良いという場所は、そう多くはありません。気持ち良いとは、場と人と音楽がアンサンブル出来るという言い方をしたら良いでしょうか。自分の気持ち、リスナーの気持ち、そして響きが一体となる瞬間はやっぱり音楽家にとってとにかく嬉しいし、気持ち良いのです。

自分でCDを作っておきながら言うのも変ですが、つくづく音楽は生演奏が一番だな、と思います。CDやレコード、最近はネット配信などで様々なものが自由に聴ける訳ですが、リスナーがどんな時に、どんな場所で聴くのかで、その印象は大きく異なります。音楽家をやっていると見逃しがちなのですが、音楽は音だけでなく、場や人、時、等々色々な条件の中で初めて成立するものなのです。オーディオも素晴らしいですが、音楽はスピーカーから出て来る音よりも、何の付け足しも無い、演奏者から湧きずるそのものの生演奏がやはり基本です。
2014年「良寛」公演
そして音楽や演奏に対する姿勢も大事ですね。音楽に対してどこまでも素直で居ないと、音楽はすぐにねじれます。背伸びをせず、気負いの無い、自然体の心持で、落ち着いた穏やかな姿。これが私の理想ですが、音楽の前には偉いも、肩書きも、キャリアも何も無い。誰でも一演奏家です。演者は、自分を大きく見せようとしている時点で、もう舞台に支配されてしまっています。何者でもない等身大の自分自身の姿を、音楽と舞台にどこまでも晒す覚悟が出来ていないと、ベールをかけたままで思うようには伝わらない。衣装でも照明でも同じなのですが、何かを付け足してしまうと逆に音楽を妨げてしまうものです。皆様はどう思いますか・・・?。
どんな場でも音楽には喜びがありますが、気持ち良い場所で、気持ち良い会をやると、ひときわ音楽の喜びが感じられますね。その気持ち良さは皆音楽と成って出て来ます。何か気にかかっている時の演奏と、気持ち良く音楽に、場に身を委ねるようにしている時の演奏とではずいぶんと違います。
人間は精神的生きものと言われますが、何を感じ、どんなヴィジョンを持って、何処を見ているか、そういう精神の在り方一つで、目つきも顔つきも体つきも歩き方も変わってきますし、勿論音楽も大きく変わってきます。
場と、人、更には季節や時代ともコミュニケーションし、その場でしか響かない音楽を紡いで行く事は音楽家の幸せであり、喜びだと思います。どうだ!とばかりに肩書きぶら下げて自己顕示欲の塊になって、一方的にご披露しても、何も届かない。分かち合う喜びを知らなければ、音楽は響かないのです。

良き時間を頂きました。