昨日は、灰野敬二率いる「不失者」のライブに行ってきました。

時に混沌の中に見え隠れする「道」のような秩序のような、存在が浮かび上がり、そこへ聴衆の意識が集約されて行く瞬間が何度もありました。皆がトランス状態に入って行く光景を見て、音楽の力を、魔力を感じずにはいられませんでしたね。正に現代のカリスマ。強力なエネルギーを感じました。

私は何時も日本の風土や文化、そして音楽について考えていますが、ロックは現代音楽と共に、そういう風土や歴史、民族性を乗り越えて存在して行ける稀な音楽ではないでしょうか。勿論カントリーやブルース等色々な要素を盛り込むことが出来ますが、ロックには限定された民族性、地域性というものはない。どうやっても良いし、どんな形でもロック足りえる。ただその核になるものさえ掴んでいれば、あらゆるものを呑みこむとてつもないエネルギーに満ちている。当然その中にはショウビジネスという一面も抱え、清濁併せ持つ現代社会そのものがロックと言っても良いような気がします。
そしてそこにはエレクトリックギターという20世紀のチャンピオンとも言える楽器の存在が大きいですね。特にジミヘン以降のディストーションの発展は、現代の音楽にとって無くてはならない要素になっていると思います。

灰野さんは昨年ドキュメンタリー映画も上映されましたが、アメリカやヨーロッパでは、第一級のアーティストとして認められている人物。100タイトルを超えるアルバムを発表していて、その音楽は多岐に渡ります。実際話をしていると、世界中の音楽を聴いているのではないか、と思う位に音楽への見識が広く深い。今回目の当たりに彼の音楽に接してみて、彼の語る言葉がそのままが音楽に成っていると思いました。
日本では前衛的なものはどうしてもキワモノ的に見られがちですが、灰野さんの演奏に改めて接してみると、耳当たりの良い品行方正な体裁を整えたようなものの中にもはや「音楽」は感じないですね。私は以前からお稽古事やら肩書きやらについては随分と書いてきましたが、そういうものは結局「音楽」ではない。またポップスのような売れる売れないの範疇で成り立っているものも同様、あれは商品であって音楽ではない、と思えて仕方がありません。
夏から秋にかけて灰野さんと組む演奏がいくつかあるのですが、実に楽しみです。また自分の音楽もあぶり出されると思います。上手等というものは全く通用しない。何を観て、何を感じているのか。そしてそこからどんな音を生み出して行くのか。本当の「音楽」が私にあるかどうかが試される事でしょう。
私は常に色々なものに囚われないように、自分のスタイルというものを見つめてきたつもりですが、灰野さんの音楽を実体験した今となっては、まだまだ自分の中に多くの囚われがある事を感字ずにはいられません。
今回はSoon Kimさんというサックス奏者と一緒に聞きに行ったのですが、彼とも色々な話をしていて、私は私の音楽をもっと研ぎ澄ませていこうと、はっきりと思いました。その為にはもっと明確なヴィジョンや手法が必要です。そして余計な事をどんどんと削って、自分のやるべき事だけをやりたい。そんな想いを抑えることが出来ない程に、自分の原点を感じた夜でした。