縁は異なもの2015

今年は花時症も全然大丈夫なので気持ち良い春を迎えています。という訳で春には珍しく弾き語りの仕事をいくつかしてきました。

13
仏子寺にて

先ずは久しぶりにお寺で琵琶演奏会をやってきました。狭山に在る仏子寺という大きなお寺でした。1時間程の短いステージでしたが、響きの良い場所でしたので、気持ち良くソロでやらせて頂きました。次の日は某政治家のパーティーでも弾き語り。スタンダードなものを求められている感じでしたので、「城山」塩高ヴァージョン(石田克佳さん曰く、城山じゃないみたい)をガツンとやってきました。

6仏子寺にて
昨年より、歌人であり数々のイベントを手掛けているプロデューサーでもある立花美和さんに御縁を頂き、今回の仏子寺もその御縁から繋がりました。今後も広がって行きそうで嬉しい限りです。感謝しかないですね。若い頃は正直そういう縁というものが実感出来ませんでしたが、本当に年を追うごとに、縁に生かされている自分を感じます。

想えば、私は琵琶で活動をした最初から正に縁によって導かれてやってきました。まるで何かに手繰り寄せられるかの如く、今迄生きて来たようにも思います。30代の私は何も知らぬがゆえの怖いもの知らず状態で、その演奏はさぞかし拙いものだった事と思います。しかしそういう私の演奏を応援してくれる方も居て、度々呼んで頂き、様々なお仕事させて頂きました。あの頃の未熟な私に声をかけてくれた方々には、本当に感謝しています。あの多くの御縁に恵まれなかったら、今の私は無いと思います。
そんな方々が繋げてくれたおかげで、高野山や熊野、厳島神社、壇ノ浦、九州の各地、関西、関東、東北、更にはヨーロッパ、中央アジアへと活動が繋がりました。タシュケントで拙作「まろばし」を現地の音楽家たちと演奏した時は感無量でしたね。

イルホムまろばし10
タシュケントイルホム劇場にて作曲家・音楽監督のアルチョム・キム氏と

これらは全て縁に導かれて初めて実現できたものです。私が一人で営業活動した所で、到底実現するものではないのです。はからいに任せたとしか言いようがないですね。

6
越生梅林

今回は唯識学の横山紘一先生とも久しぶりにお会いしまして、終演後ご住職や立花さん、横山先生と共に食事をしながら色々な話を伺いました。縁には良縁と悪縁があるともおっしゃっていましたが、悪縁もまた縁の内。縁を大事にしながらも、縁に寄りかかってもいけないという事も教わりました。

私は舞台に立って初めて自分の世界を伝えることが出来ます。1今後も舞台を第一にしてやって行きたいと思います。以前は大学の講師もやっていましたし、大学での単発の特別講座も随分とやりました。それらは私にとって貴重な体験であり、良い勉強でした。これからも機会があればやろうとは思っていますが、舞台人は兎にも角にも舞台に集中しなければいけません。人生に於いて常に「舞台で生きる」という心で居なくては、良い舞台も良い音楽も生みだすことは出来ません。舞台に立って演奏してナンボです。教える事もとても大切ですが、先生になってしまったら演奏家としてはそこでお終い。お教室経営で収入を得て生きて行くのが自分人生だと覚悟が出来ている人はそれで申し分ないでしょう。しかし私は演奏家です。お師匠様でも先生でもない。私は頂いた縁を舞台で生かし、音楽の形にして返すのが自らの役割だと思っています。

今回も「風の宴」をやってきました。先人の志を受け継ぎ、新しい形にして、次世代へと渡す。そんな想いでいつも演奏していますが、私の起こすささやかな風が、縁となってまた次の世代に渡って行けたら嬉しいですね。

yoshinoーume1
もう無くなってしまった吉野梅郷の梅

色々な縁がどう繋がるのか自分では判りません。人生は思い通りにはいかない。突然色々な事が起こります。でもそれだけにワクワクします。我々は正にはからいの中に生きているのです。
What A Difference A Day Made

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.