梅花の季節2015

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春ですね。梅は都内ではもう盛りを過ぎていますが、ちょっと奥まった越生辺りへ行くと、今満開。まだまだ楽しめます。そして桃、杏、モクレン、サンシュユ、ハナズオウ…後続部隊がどんどん咲き始めていて、気の早い寒緋桜などはもう春を待ちきれない!!という感じで咲いていますね。これから約一か月は桜も出番を待ち構えて花々の饗宴!。命の煌めく季節です。

私は桜の華やかな姿も好きなんですが、やっぱりちょっと控えめな梅花の風情が好きなんです。人間も梅花のような密やかな人の方が落ち着いて話も出来るし、一緒に居て楽しいですね。若い頃から派手なけばけばしいものは嫌いでしたが、私が年を取るにしたがって、益々梅花が好きになりました。

子供のころから弾いているギターも、ロックではなく、ジャズギターという、ちょっと地味なスタイルに弾かれたのは、その密やかな魅力に惹かれたのかもしれません。朝から晩までケニー・バレルやウエス・モンゴメリー、ジム・ホールなんて聞いている高校生は、あまり居ないでしょうな。

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こうした草花を観ていると、自らに与えられた場所で、素直にケレン無く、与えられた命を謳歌するように咲き、また散って行く、そんな姿に多くの事を想います。人間は少しばかり頭が働き、何処にでも動けるせいか、自分に与えられたものも自分でよく判らず迷ってばかり。ちょっと何か知識や技を得ようものなら、得意になってひけらかす。技術や知識は大変素晴らしいものだし、人間の人間たる所以であると思っていますが、小賢しい知識と経験を振りかざし、偉いの凄いのと吹聴して自己顕示するような輩はもう見ていられません。

私は何時もお稽古事についてはあまり良い事を書きませんが、それは得意になって十八番を声張り上げてやっている所がどうしても受け入れがたいのです。

現代のトップピアニスト クリスチャン・ツィメルマンは「自分の本当に目指したい道は何なのか、音楽への強い愛情をいかにしたら聴衆に伝えられるのか、そのためには何が必要か、ずっと悩んでいました。もちろんこの答えはいまだ出ていません。だからこそ私は自分を律し、練習へと駆り立てるのです」「私は1つの曲を完璧に準備するのに10年を要します」等々言っていますが、世界のトップにしてこれです。常に考え、練習し、自分を律する。やみくもにただ目の前の事を一生懸命にやるのではないのです。自分のやる音楽は何なのか、それを表現するにはどうしたらいいか、常に考え、考え抜いて、実践しているのです。

本当に「那須与一」や「壇ノ浦」が自分の音楽なのか?。何故その曲をやるのか?。お稽古したから、得意だから何ていう浅い思考でやっていないか?。そのコブシは本当に音楽を表現する為に必要なのか?。ただ言われるがままに、流派のお上手を目指しているだけではないのか?・・・・。
邦楽の中でのお上手は外では通用しないのです。お稽古事の延長なのか、演奏者の内から湧き出でた音楽なのか、聴く人が聴けばそういうものはすぐ判るし、先入観の無い海外に行けば、底の浅さは一発でばれてしまう。
「頑張ってる」が通用するのはお稽古事の世界だけなのです。そんな程度の民族芸能で良いというなら致し方ないですが、私はそういう邦楽の在り方を大変残念に思います。
浅い思考、大して考えもしない目の前の一生懸命、そういう個人的な意地のような所で琵琶をやっていたら本当にもう誰も聞いてくれなくなってしまう、と私は思えてなりません。

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薩摩琵琶自体は江戸時代から薩摩にはありましたが、現在皆さんが聴いている薩摩琵琶は、明治後期から大正・昭和初期にかけて成立したもので、Jazzや現代音楽とちょうど同じ時代を生きている新しい音楽です。能や雅楽のような古典ではありません。私はこれから日本文化の中で歴史を作って行く音楽だと思っています。型にはまったものを今からやっていては、歴史が次世代へと繋がらない。私はどんどん新作を作って行きたいし、どこまでも自分の中から湧き上がる、自分の音楽をやりたいと思っています。
永田錦心は時代と共に生き、その時代の中で語るべきものを語り、更にそれを次世代に向けて演奏しました。だから支持を得たのです。私は及ばずながらもその志を受け継ぎたい。今、薩摩琵琶はその器を試されているのだと思います。

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photo Mayu

人間はどうしても梅花のように素直に生きる事は出来ないですね。だからこそ人は、こうして淡々とその命を全うする花を愛でていたいのかもしれません。

梅花に囲まれて、琵琶楽への想いが広がりました。

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