雪景色の記憶2015

先日、3年ぶりに福島県立美術館ホールで演奏してきました。

福島県立美術館-s

前回は2011年の秋でした。震災のすぐ後という事もあり、大変心配しながら演奏会に臨んだのですが、行ってみたら場内がもの凄い熱気に包まれていて、250程の小さなホールではありましたが、入りきれなくて随分と多くのお客様をお断りをしなければいけない位、皆さんの熱い想いで一杯の演奏会でした。あの食い入るような皆さんの表情は未だに忘れられませんね。
今回は「是非手妻と一緒に来てください」という要望でしたので、藤山新太郎師匠に声をかけて、師匠と、師匠の弟子の晃太郎さんと私の3人でやってきました。

IMGP0021師匠と晃太郎さん
当日の福島は雪。それも風が強く吹雪いていて、東京人からすると猛吹雪のようにIMGP0022感じられる天気でしたが、お客様も沢山お越しいただきまして、ありがたかったです。
先ず私が平家物語の「千手」から題を取った「朝の雨」他を演奏した後、手妻のコーナーに移り、最後は師匠と私でいつもの「蝶のたはむれ」というプログラムでした。お客様の反応も良く、楽しい会になったと思います。

それにしても鍛え上げられた芸というものは、いつ見ていても気持ちの良いものです。また師匠は常に「次」を考え、色々なものを見て、前を向いている。その姿勢があってこその芸なのでしょうね。師匠の舞台は余計なものが無く、芸そのものにぐいぐい惹きつけられます。話芸一つとってもかなり洗練されているし、舞台運び、個々の演目のレベル等々、観ていて気持ち良いです。こういう質の高いエンタテイメントがもっと増えて行くと良いですね。巷には色々なものが溢れていますが、外側ばかり派手に飾っても、やはりしっかりとした中身がなくては・・・。お客様は観ていないようで、実はしっかり観ているものです。

円空展

今回はちょうど美術館で「円空」展をやっていましたのでゆっくり観てきました。久しぶりに実物を目の当たりにして、感じるものが大いにありました。きっと円空さんには、自らの内に湧き上がるものが強く有ったのでしょうね。静寂も激しさも、優しさも鋭さも、色々なものを感じました。普段お寺で見る仏像とは桁が違いますね。

作為が無いという言い方もされますが、作為が表に出て来るというのは、まだ想いが弱いという事。想いが弱いから「ああしよう、こうしよう」と頭を使って補おうとするのです。上っ面の思い込みや、頑張っている自分に酔ってがなり立てて感情をぶちまけている程度のものは「想い」ではありません。その場の感情です。何かを創り出すには揺るぎない深い「想い」が必要です。円空仏のその姿には余計な衣の無い深く熱い「想い」を感じました。

P2069455そして「想い」を成就させるには、「純粋」な心でなくては成就しないと常々私は感じます。「純粋」という事を論じるのは難しいですが、例えば無垢な子供のような状態も純粋ではあるでしょう。しかしそれはとても危うく壊れやすい。またその純粋さからは何かを生み出すという事が難しい。何かを生み出すことの出来る「純粋」というものは、ただ何も知らないという事とは違うと思っています。途方も無く色々な所を通り越してこそ初めて至ることが出来る心ではないかと思います。

そこに至る過程で、技術を身に付けたがために、その奴隷になってしまう事もあるでしょう。経験の果てにこじんまりと納まり、手慣れたものをこなしているようにもなってしまうかもしれません。何しろとことんやって、突き抜けて行かなければ「純粋」には到底至らないのではないでしょうか。
時に技術を捨て、常識も定型も破り捨て、何物にも囚われず、惑わされない姿勢で何処までも世の中の諸事に立ち向かう、そんな生き方は、道元禅師や良寛さん位にしか出来ないかもしれません。並ではとても出来るものではありませんが、そういう揺るぎない強さとしなやかさを兼ね備えていてこその「純粋」だと私は感じています。正に「プレロマス」です。その「純粋」な心に湧き上がるものが、「想い」なのではないでしょうか。まあ私はとてもそこまで出来ないでしょうが、少しでもそんな境地を目指したいものです・・・・。

私が円空仏に惹かれたのは、そんな想いの純粋さと強さです。音楽も同じです。型にはまって胡坐をかいているようなものには魅力は無いです。何物にも囚われず純粋に音楽を創ろうとする姿、そして湧き出でた音楽にこそぐっと来るのです。

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私はプロとして舞台に立っている以上、魅力ある舞台を創るのが仕事です。お金も頂くなくてはなりません。それにはコンセプトも哲学も、技術も経験も必要です。より良く聴いていただくためには、すわり心地の良い椅子を用意する事も大切でしょう。しかしすべては舞台に、そして音楽に成就しなければ私の仕事は成立しない。私なりのやり方で魅力ある音楽と舞台をどこまで創ることが出来るか・・・。終わりはないですね。

藤山新太郎師匠の芸を観て、円空仏に触れて、また自分自身の行くべき道に想いが募りました。

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