戯曲公演「良寛」の再々演をやってきました。場所は前回と同じく、座・高円寺Ⅱ。今回も素晴らしい舞台となりました。まだ写真が送られ来てないので、私の安デジカメの画像しかありませんが、先ずはご報告。


勿論私の弾く樂琵琶独奏「春陽」と津村先生の舞によるラストシーンは、深化した照明の効果も相まって更に更に劇的なものになりました。あの津村先生の舞姿は、良寛という個人をはるかに超えて存在していました。それは維馨尼であり、貞心尼であり、また良寛の志を受け継いで行った、鈴木文台や長谷川泰、吉岡弥生、野口英世・・・・・・等、良寛を軸にその心で繋がって行った人々全ての総体となって昇華されて舞台に現れていました。
舞台をやるというのは、様々な要素があり、単純に与えられたものを頑張ればよいというだけではありません。集客やお金の事は勿論ですが、稽古のスケジュール、衣装、音響、照明、台本の解釈、テンポ、キャラの設定、体調管理…もうキリが無いほどに、一つの舞台を作るには様々な仕事があります。出演者、スタッフ全員に舞台全体を創る気持ちが無いと、質の良い舞台は実現しないのです。そういう意味で今回は本当に良いチームだったと思います。ベテランの津村禮次郎先生、伊藤哲哉先輩が実に良いムードを作ってくれました。若手の木原丹君、そしていつもの相棒大浦典子さん、
照明の坂本さんも素晴らしいアンサンブルをしてくれて、舞台を創って行く事が出来ました。舞台上には大庭英治先生の作品が掲げられ、この作品のもたらす効果も実に大きかったと思います。
舞台とは、練習の成果を発表する場ではないのです。そんなものはただのお稽古事。やはり非日常を創り出して行く場でなくてはならないのです。
こういう経験が出来るのも、何より脚本・主催の和久内先生のお蔭なのですが、私はこの「良寛」の舞台を通して、良寛という人そのものに触れ、大きなものを得ました。それは道元禅師にも通じ、また生きて行く指針のようなものを再確認するきっかけともなったのです。
色々なものが存在するのが世の中というものでしょう。しかしお手軽でレベルの低いものばかりがもてはやされる世の中が、良い状態にあるとは思えません。感性はどんどん変化するので、上手い下手という事を言っても意味は無いですが、いくら時代が変わったとはいえ、物事の本質は変わりません。質を顧みない刹那的な賑やかしや、名前や権威に胡坐をかいている様な輩が跋扈する世の中にあっても、ブレずに自分の行くべき所を行きたいものです。それは良寛も、道元禅師も、私が敬愛する方々は皆そうでした。私自身は偉人のように大それたことは出来なくとも、その志だけは忘れないでいたいものです。
舞台こそ私が生きる場所。舞台こそ人生。良い一日でした。
