ぐっと寒くなってきましたね。我が街阿佐ヶ谷は、ただ今ジャズストリートというイベントで、街中にジャズの生演奏が流れ華やいでいます。こういうのもたまにはいいものですね。今夜はちょっと私も参加する予定です。

この所は演奏会も続き、日々忙しくさせてもらっていますが、かえってそんな時には、色々なものを見たり、人に会う機会が多いものです。20代位の頃はひたすら上昇志向で頑張っていたのですが、時を重ねて行くにしたがって自分の生きるべき場所というものをだんだんと自覚するようになりました。別にネガティブに「この辺りでいいや」とか「無難な所で・・」という訳ではなく、本来自分が居るべき場所というものを感じるようになったのです。
私は先輩から、「自分というものをよく知る事だ」と若い頃言われました。己がどんなものであるか、自分自身が判っていないと何事も成就しません。考えてみれば当たり前なのですが、この当たり前がなかなか解らないものです。
天宮神社(森町)
自分が与えられた場所(舞台と言っても良いかと思いますが)に対して、私には明確な自覚があるのか・・・・?まあ私なりに今自分が居る所、そして目指している所で自分の仕事が存分に出来るようでありたいと思います。しかしどんなに望んでも、どんなに憧れても、自分が見えていないようでは、自分の舞台を得る事は出来ません。それはその人の持っている器もあるだろうし、運命としか言えないもののようにも思います。
結婚によって環境が大きく変わる人も居るでしょうし、仕事でどんどん大きな世界に行く人も居るでしょう。その与えられた場所は望んだにしろ導かれたにしろ、自分が居る場所を自覚すれば、きっとそれに見合う器になって行くと思いますし、また人生も迷いなく生きる事が出来る事と思います。そこを思えるかどうか・・・。
人間努力すれば何事もそれなりの上達もあるでしょうし、自分の想いや願望が成就するかどうかは別として、自分の行きたい道に進む事自体は、この現代社会に於いては誰にでも出来ます。しかしそれが本当に自分に与えられた場所や道なのか?流されているだけなのか?それともただの憧れているだけなのか・・・?極端に言えば、簡単にその入り口に辿り着けてしまうために、よく判らなくなっているという事も多々あるのではないでしょうか。自分を見つめる事は、自分の人生だけでなく、社会をも見つめて行く事であり、現代社会に生きる我々にとって、とても大事な事のように思います。

草花は自分が生まれた所で、精一杯その命を輝かせ、そして朽ち、また次世代へその命を託して行きます。それは自分に与えられた運命を受け入れるからこそ、輝くことが出来るのではないでしょうか。人間はどうでしょう?。特に現代人は・・・・・??。
ポジティブシンキングでぐいぐいとやって行くのは素晴らしい事ですが、ある程度お金になったり、肩書き貰ったりするような目の前の満足で、行くべき場所を見失っていないだろうか。現代社会では色々なものがあり、世界中どこにも行けるし、世界の人とメールでやり取りもできる。何でもすぐ手に出来るだけに、かえって振り回されてしまって、自分の居るべき場所や舞台が判らず右往左往して、世界を飛び回っている自分に酔っている人も多いのではないでしょうか。

私が弾き語りのレパートリーにしている「平経正」は死しても尚、霊となって現れ「もう一度都に帰りたい、もう一度琵琶を弾きたい」という想いに激しく駆られますが、最後には自分に与えられた、武将としての運命を自ら受け入れる事で成仏して行きます。現代に生きる我々は果たして自分に与えられた場所や運命を自覚し、受け入れているのだろうか、日々何かに振り回されて、本当の自分の人生を生きていないのかもしれない。経正を演奏する度に、私はこんな思いに駆られます。
私が今与えられているこの場所と舞台を本当に全うするには、まだまだ努力も知力も必要です。振り回されることなく、本来の自分というものになりきり、自分に与えられた場所で生き抜く。これはこれからの私の大きなテーマになって行くと思います。

地味だろうが派手だろうが、そういう事ではなく、他の誰でもない「私」の人生を全うしたいですね。