すっかり秋の風情になって、過ごしやすくなりましたね。
この時期は演奏会も多く、色々な刺激を受け発想も浮かび、身も心も芸術の秋という感じになって行きますが、昨年は私の良きアドヴァイザーだったH氏の突然の逝去があり、秋は忘れがたい季節ともなりました。9月末で早一年、緩やかに、確実に、私も変化して行きました。

H氏お気に入りの琵琶
短い間ではありましたが、H氏を通して色々と考えさせられたことは良い経験でした。自分の中にわだかまる驕り、気負い、迷い・・そういうものを明確に指摘してくれたのもH氏でした。そういった氏との会話を通して、私はかなり大きく内面が変化したように思います。そういう人とこの時期に出会ったという事も、一つの運命なんでしょうね。
氏から教えられた事は本当に沢山あって、今自分がこうして存在しているのは氏のお蔭だと思っています。でも結局自分のやり方で、自分の道を生きる事しか出来ないのです。そういう想いに至ったという事も、氏の導きだったのでしょう。
H氏は逢う度に「愛を語り、届ける」というという言葉を投げかけてくれましたが、最初は「何言ってんだか??」という感じでした。しかしだんだんその意味を自分で噛み砕いて、自分なりの想いをこの言葉に乗せて行き、それはいつしか私の一つの目標となって行きました。勿論私は品行方正な人間でもないし、H氏の期待していたような人間でもないし、何も実践出来ている訳ではないのですが、そういう気持ちをどこかに持って音楽に関わろうという姿勢になってきた事が、この一年という時間を経た上での大きな変化でしょうか・・・。私の音楽は、どんなものとして聴く人に届いているのだろうか・・・。私はまだまだやるべき事が沢山あるようです。

音楽家でもどんな職業の方でも、偉い人、上手な人は沢山居ます。でも私にはそういうものは何も響かない。技術を感じさせない程高い、研ぎ澄まされ洗練された豊饒な世界、そういうものをこそ惹かれますし、求めて行きたいですね。気取りも無ければ気負いも無い、そんな姿で居たいと思うのですが、なかなかそうは成れないものです。H氏は何時もそんな私の軌道修正をしてくれて、私を導いてくれたのです。しかし今思えば私は多分に氏に甘えていたのだと思います。

昨日は御線香を上げに行きました。それまで暑いくらいの日々が続いていたのに、その日はまるで一年前のあのお通夜の日が甦ったような霧雨。降り止むことが無いかのような静かな雨がずっと夜迄続きました。集まった皆は、まだ涙も枯れない様子ではありましたが、私は落ち着いてゆっくりと仲間達と話をすることが出来ました。時が経つという事は色々なものを深化させてくれるのですね。時間というものの尊さを感じました。古典として何百年も何千年も経った音楽や文学が素晴らしいのは、やはり深化しているからでしょう。
一年前はさよならも言えませんでしたが、一年間という時を重ね、やっと別れの挨拶をすることが出来ました。
またこれから一年、自分らしく生きようと思います。