風に吹かれて 2014秋

ちょっとご無沙汰してしまいました。この時期はまあとにかく忙しいの一言でして、全く持ってありがたい限りです。ネタには事欠かないのですが、とにかく日々ネタが多過ぎて・・・。とりあえず日々のご報告を。

先ず最初は「2015年の会」という催しで演奏とお話をしてきました。2015年の会琵琶の歴史を現代から過去へと辿って、演奏を交えながら「啄木」や平曲の「祇園精舎」等やってきました。琵琶というと何でもかんでも古典という風になってしまうので、近現代の薩摩・筑前琵琶と、古典として残る平曲、雅楽の感性・構造の違い等しゃべらせて頂きました。
この会は、とある大きなお寺のお坊さんを囲む会なのですが、短歌や様々なプロデュースで活躍する立花美和さんの紹介で招かれて行きました。立花さんとの縁も面白いのですが、それはまたこの次に・・・。この会には色々な方が集っているので、良い御縁の数々を頂いてありがたい限り。今後の展開が楽しみです。

リハーサル風景  筝 小笠原沙慧  尺八 城戸尽山
次は、私がやっているアンサンブルグループ「まろばし」で筝を弾いている小笠原沙慧さんが主宰する、「音楽工房HOKUTO」の演奏会にゲスト出演してきました。HOKUTOはNHK邦楽育成会出身の仲間で結成したグループで、毎回古典から現代邦楽迄色々と演奏しているそうです。今回は私の作品「朝の雨」を取り上げて頂いて、ついでに私の弾き語りで「平経正」も演奏してきました。
この会では演奏もさることながら、先日仲間の桜井真樹子さん、灰野敬二さんと盛り上がった2次元の倍音を研究している桜井先生が、この日の演奏会に広島から来てくれるとのことでしたので、いつもお世話になっている琵琶楽の薦田先生、そして昨年から参加させてもらっている日本書記歌謡の研究家 佐藤溯芳先生を引き合わせたらどうかと思い、3人をご招待して、終演後私を含め4人で興味深い話をビールを呑みながらやってきました。面白かった。皆さん専門分野を深く研究されているので、話を聞いているだけでワクワクしてきます!!

2012-5

私は何時も音楽の事に追われていますが、こういう生き方をこれまで出来てきたのも、常に良い縁に導かれているからこそ!。琵琶を始めた頃からずっと感じていましたが、年を追うごとにこうした人の縁を感じるという事は、やはり常に人の縁というもので私自身が成り立っているという証拠です。人を介して仕事に繋がり、全国色々な所に招かれ、そこからまたインスピレーションを得て音楽が深まり、新曲が生まれ、熟成し、学び、自分の音楽世界が出来上がって行くのです。時に失敗をし、厳しく叱咤され、躓き、転び、色々な事があっては初めて私は音楽家としての私になって行くのですが、いずれも縁によって導かれたからこそ、色々な事を体験できるのです。世の中色々な人生があると思いますが、私のこの人生はなかなか面白い。最近とみにそう思う事が多くなりました。

IMGP0660某半島より太平洋を臨む
結局一人でやろうと思っても何も出来ないのです。私は組織には属していませんが、色々な人に関わることで、思いもかけないようなことが実現して行きます。ヨーロッパやシルクロードのツアーもそうでしたし、高野山での公演もそうでした。考えてみれば、この年まで琵琶奏者として仕事をし、CDを何枚も出して、多くの所に招かれて生きて来れたこと自体が奇跡のようなもの。そこで学んだことは人との関わり方とその距離感の持ち方です。それがとても大事という事です。

私のように何でも一人でやってきた人間には多い傾向かも知れませんが、時に色々な面に於いて「過ぎて」しまう事が多々ありました。「あなたは人生を自分のやり方に引っ張り込もうとし過ぎる。もう少し心を開いて人生の流れに身を委ねなさい。そして幸せになる努力をしなさい」これは某小説の中に出て来る言葉ですが、私には身に沁みる言葉です。

毎年のように今年はこんな年にしたいと思いやってきましたし、大きな転換期という想いもここ数年感じていましたが、いよいよ今年後半をスタートに来年、再来年位がその時のようです。音楽そのもの、活動の内容、その他これからの数年で、今後のスタイルを創り上げておかないと、もう音楽家として後が無いと思います。色々な生き方があると思いますが、私は私の生き方をしなければ、満足した人生は送れない。肩書き頂いても、偉くなっても、私の人生にはならないのです。

11-sルーテルむさしの教会にて

私は琵琶という珍しいものをやっている事もあって、色々な場所で多くの出逢いを頂いている方だと思いますが、繋がって行く縁もあれば、途切れてしまう縁もあります。深まる縁もあれば、浅いままの縁もあります。深かった縁が突然に切れてしまう事もあります。全ては導きとはからいによってもたらされた事なのでしょう。ヴィジョン(野心?)を持って、自ら縁を求め行動して行く事は大事だと思いますが、そうした縁には往々にして作為が有り、余計なものが得てして付きまとうものです。いくら名刺が増えても、繋がらない縁はどうしてもつながらない。正に縁は異なものなのです。優等生的な言葉を吐くつもりはないですが、やはり縁によって生かされているという想いは年を追うごとに強くなりました。はからいを風とたとえるのなら、風に身を任せ、風に吹かれて、これからも生きて行きたいものです。

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