いのちのリズム

この所の暑さは半端ではないですね。今年はちょうど良く(?)風邪気味なので、家でのんびりして譜面など書いております。おかげで今一つ完成に至らなかった作品がいくつも仕上げを終えることが出来ました。

相模湖3相模湖

近頃どうも音楽を聴くにつけ、街行く人を見るにつけ、何かと違和感を感じる事があります。ちょっと抽象的なのですが、東京の街中を歩いていると、どうもリズムが狂っているように思えて仕方がないのです。皆様はどうお感じでしょうか。
今時は電車の中でも食事をしていてもスマホ、中には面と向かって話をしていながらもスマホを握りしめて、ちら見している姿がどこでも当たり前のようですが、どう見てもまともではないですね。まだ判断の効かない子供ならまだしも、40代50代の大人までもがそんな姿を晒して、それがまるで普通だとでもいうように世の中に蔓延しているという事は、もう世の中自体が狂っているのでしょう。だから街行く人のリズムがおかしいのです。何かにせかされ、何かに乗せられ、自分本来のリズムで生きていないように思えて仕方がないのです。歩き方は勿論、コミュニケーションの在り方、物事に対する反応等々・・・色々な所が狂っているように感じます。これでは我々の子供たちの世代にも大きな影響が出てくるでしょうね。幸い私の周りには、そういう人は少ないですが、いい大人が何故気が付かないのでしょうか???

genkouan4

私は教室はやっていないのですが、たまに人に琵琶を教える機会があると、円運動の話をします。それは自然とその人其々に備わっている「気の流れ」とでも言いましょうか、空気の循環なようなものを自分の中に先ずは感じるように言います。何にも影響されず、自身も何も構えない、一番自然な状態で出て来る大きな気の流れ=円運動=リズムを自分で感じられると、おのずとその人なりの姿に成って来て、他からの押しつけでない一番素直な身体が発する本来のリズムが感じられる事でしょう。その時にテクニックというものがあれば、そのリズムがその人の音楽として成就して行くのです。

鶴田&武満

先生のやる通りなぞって真似してというのが今までのやり方でしたが、現代社会の生活に於いては、習う方が自分のリズムを見失っているせいか、先生を真似ても、それを自分の呼吸に合わせて、自分の音楽として響かせて行く事が出来ないのではないか、と思います。まあ真似すべきまともな中身を持った先生も、どれだけ居るのだろう?という気もしますが、自分の呼吸や円運動自体が判らないと、ただのコピーになって、結局は身に付かない。ただのそっくりさんをよく見かけるのもそのせいでしょうか。

夕陽4巷では音楽も打ち込み系のものが圧倒的に多くなり、間で語って行く日本音楽もどんどん減って来ています。打ち込みをバックにした和楽器のバンドも、今花盛りです。それが現代という時代なのかもしれませんが、時代の流行に乗っかるのが音楽ではなく、あくまで時代をリードして創って行ってこそ、音楽と、私は思います。私はあのような和楽器のバンドを聴くと、二昔くらい前の歌謡曲に化粧を施し、表面の形を変えたように聞こえるのです。先進性は微塵も感じないし、アレンジも平凡。とりたてて目新しいものは見えず、パフォーマンス以上のものは感じませんね。話題性だけで成り立っているようにしか見えません。

流行に乗っかっているだけでは、ただの付和雷同。派手な化粧や衣装で舞台に立っても、時代に媚びているような音楽では賑やかしでしかありません。何時も私が書いている、正統派だの何だのと肩書きぶら下げて舞台に立っている輩と、ようは同じ。志を持っている若者には時代を切り裂き、次の時代を感じさせるような「音楽」をやって欲しいですね。パーフォーマンスではなく「音楽」を!!。宮城道雄や永田錦心が次の時代を切り開いていったあの精神、そして革新性をもう一度感じて欲しいものです。

柿田川1忍野八海1

柿田川

話がそれました。
人間だけでなく、植物も全て命あるものにはリズムがあります。響き合っているという人や、波動という人、私のように円運動、気の流れ等々、色々な言い方表現の仕方が出来ると思いますが、生命が宿る以上必ずそこには何かしらの運動があるのです。その運動のリズムが狂えば色々な所にその影響が出るのは当たり前。今、地球という生命体のリズムさえ狂い始めているように思う人も多いのではないでしょうか。

また現代はあまりに物や情報が溢れているので、他と比較しながら自分のペースを作ろうとして、自分のリズムを狂わせている人が多いようにも思います。純粋に自分らしく生きるという事が今ほど難しい時代も無いでしょう。しかしこういう時代だからこそ、何にも寄りかからず、何にも振り回されず、淡々と自分の行くべき道を歩み、自分のリズムを保っていたいものです。それが出来る人は健康だし、何時も笑顔で、素敵な音楽を創っています。誇大な宣伝も、派手な衣装も化粧も要らない。ただ、自分自身であり続け、自分の中から湧き上がる音楽を奏でていれば良いのです。余計な装飾や衣は無い方が良い。

潮先先生私の恩師、ギタリストの潮先郁男先生は「

人と比較してはいけない。自分のグルーヴを大切に。それぞれの技法があるのだから。今の自分のスタイルを磨いて行くのが大切」と、こういうアドヴァイスを、とある歌手の方にしていました。私が先生の所に通っていた頃も、一人一人の生徒に対し、「自分が好きなものより、自分らしい、自分に合ったものをやりなさい」とアドヴァイスをしていたのを想い出しますが、現在でも現役として毎月舞台に立ち、絶大な信頼のある第一級のプロとして、60年以上に渡り音楽の世界を生き抜いた方の言葉は深いものがありますね。

自らの命が発するリズム。そのリズムを感じるからこそ、色々なものをまともに感じる事が出来るのです。世に溢れる多くの物、出来事、人、情報・・・そんな様々なものに出会っても、自分のリズムがしっかりあれば振り回される事はありません。
素直に生きていれば、あるがままで自由に居られるはずです。どんな場に在っても、ありのままの自分でいる、その自然な姿がものを生み出し、次の時代へと導いて行く一番の根幹ではないでしょうか。世の常識や流行に流されることなく、肩書きのような世の虚構に惑わされることもなく、何物にも囚われない純粋な心を常に持っていたいものですが、その為にも普段から生命のリズムを感じながら日々を過ごしたいものです。

さて、また譜面に向かいますか・・・。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.