毎年この時期になると、SPレコード発掘の楽しみがあります。8月は何時も琵琶樂人倶楽部でお世話になっている名曲喫茶 VioronにてSPレコードコンサートを私が担当しているので、Violonのマスターと連れ立って、SPレコードの買い出しと神保町のカレー屋さん探索が毎年の恒例なのです。
Violonにある蓄音機は、かの名器ヴィクトローラ・クレデンザ。その奏でる音は実にふくよかで、情感に溢れ、今私達が失ってしまったものを思い起こさせてくれます。単に懐かしいレトロな感じというのではなく、音楽の持っている生々しい気迫のようなものを感じるのです。SPレコードならではの魅力ですね。ぜひ一度体験してみて下さい。
昨年は「女流の時代」というタイトルで、女流琵琶奏者に加え、市丸、佐藤千夜子、喜波貞子等、明治~大正~昭和にかけて活躍した女性達を特集しました。今年は「男声に酔う」というタイトルで男性陣中心のプログラムを組んでみました。錦心流の大館錦棋(旗)、田村㴞水、松田静水、テノールの藤原義江、奥田良三等々、ちょっと他では聞けないものを解説付きでかけさせて頂きます。乞うご期待!

このSPレコードコンサートは、元々永田錦心の「石童丸」を聴きたいという所から始まって今年で6回目。今回は永田の弟子達を特集します。いかに弟子たちがその志を受け継いで行ったか、その辺りを感じて欲しいと思ってます。
現代の琵琶のスタイルを築いた永田錦心は、昭和2年に亡くなりましたが、最後まで病身をおして、ツアーに出て、あの当時ではまずありえない海外公演までこなし、自らも「琵琶と戦い通すのだ」と最後まで言い張って、精力的に活動を展開し、42歳で亡くなりました。その気迫、そして気骨ある精神は、後輩達に大いなる影響を与えた事でしょう。それが今やどこまで伝わっているのか???
時代と共に物事の在り方が変わるのは良い事です。しかし時代に振り回されてはいけない。時代を切り開いて行く精神がなければ、ただ浮いているだけの付和雷同に過ぎない。時代の最先端を走り、次の時代を切り開いて行くその志が永田錦心という人生を生み出したのです。
永田錦心の言葉はこれまでに何度もこのブログに載せていますが、その純粋な心に共感してくれる人も多いのです。是非今の琵琶人にこの志を受け継ぐ人が一人でも多く出て来るといいですね。
アイルランドの詩人イエイツは「我々自身が流す赤い血以外に、あるべき薔薇を育てることは出来ないのだ」と言っています(薔薇とはアイルランドの自由と独立を意味します)過激で強烈な詩ではありますが、永田錦心は正にこれを地で行ったのです。
SPレコードはこういう先人の想いや時代の息吹を感じることが出来るのが、何と言っても良いですね。ただの懐古趣味で聞いても良いですが、私はレコードから、彼らの気迫と志を感じずにはいられません。
蓄音機はレコード一枚ごとにぜんまいを巻き、鉄針を取り換えて音楽をかけます。とにかく手間がかかります。しかしその音は実に生々しく迫ってくるのです。現代はノイズの全くないクリアな音が当たり前ですが、SPのような生々しさはあまり感じられません。何故でしょうか?それはノイズやエコーなどの音楽以外のスペックを上げても、演奏者の「一度限り」という気迫が少ないからです。やり直しが全く効かない状況で、下手な演奏をしたら、それがずっと世に残ってしまう。皆命を削るような真剣勝負をやっていたからなのです。また録音の機会を与えられるのは、本当に限られた一握りの人のみ。現代のようにお稽古事レベルの人がCD作って、レコ発なんてやっている時代とはその意識レベルが違うのです。

現代はあらゆる面で便利であり、平等な機会を与えられており、経済的にも豊かで、何から何まで発展してきていますが、その発展の途中で失ってしまったものも実に多いのです。ネットで世界と繋がっている反面、イイネを押してくれる同レベルの仲間と常につるみ、その小さな村の中で生きているような姿をよく見かけます。現代人が便利や豊かさと引き換えに確実に何かを失っているのは、誰もが感じながら現代を生きているのではないでしょうか。
SPレコードを通し、単に過去の演奏を聴くというだけでなく、何が大切なのか、何を失ってはいけないのか、何を残し、受け継いで行くべきなのか、そんな所に想いを馳せるのも、時には良いのではないでしょうか。昔に憧れ、昔に戻るのではなく、未来を生き抜く為に、過去を見つめ直す事はとても良い事だと、私は思います。
SPレコードにはお宝がいっぱい詰まっているのです。
8月17日(日)
琵琶樂人倶楽部第80回SPレコードコンサート「男声に酔う」
夕方6時開演(いつもより開演時間が早くなっています)
1000円(コーヒー付)
於:阿佐ヶ谷ヴィオロン