プロの条件Ⅲ

江の島7

最近私の周りに、人生の転機が来ている人達が沢山居ます。結婚や出産、就職、中には第二の人生を始めようとするベテランも・・・。プロの音楽家を目指す人も何人も居ますが、是非自分らしい人生を歩んで欲しいものですね。自分の思う道で食べて行くのは、なかなかに至難の業なのは今も昔も変わらないのだから、どんどんとチャレンジしていって欲しいです。
音楽を生業として行くのは、本当に厳しい。まだ洋楽系は仕事自体が多いし、国内でも世界が認めるような超一流の方も居ますが、邦楽はそうはいきませんね。名取になったりお教室を開くのも、まあレッスンプロとは言えるでしょうが、残念ながら世間はそれをプロとは認めてはくれません。お師匠さんでしかない。大体ろくに収入にならない。

虹

どんな分野でもプロとしてやって行くには、技術や知識は勿論なのですが、実はそれ以外の部分のスキルこそ大切なのです。活動に費やす時間も、此方の部分の方が大きいでしょう。これにうなずける人は、既ににプロとしてのスタートを切って頑張っている事と思います。これがどういう事か理解できない、判らないという人はプロには程遠いです。私はこれまで音楽を続けてきて、いくら上手でもプロとしてはやっていけない現実を目の当たりにしてきました。夢を諦め、故郷に帰って行った先輩や友人、不安定な収入や人間関係から精神的に追い詰められて止めて行く若者も沢山見てきました。私自身もそういう時期がかつてあり、今でもさして状況が変わっている訳ではありませんが、とにかく自分で乗り越えて行くしかないのです。この道で生きて行くには「以外の部分のスキル」を自分で理解し、会得するしかないのです。

okumura photo6プロは何と言っても経済的な部分を背負わなくてはなりません。邦楽人の中には経済的なバックボーンを持ち、お金と戦う事無く余裕でやっている人がかなり多いですが、これが正に邦楽衰退の原因です。お金の事を考えられない、考える必要が無い、お金の交渉が出来ない人はプロに成れないのは当たり前。お金を取るからこそ、レベルの高いコンテンツを作ることが出来、それ以上に、そのコンテンツをどのように出し、自分の音楽を聴かせ観せて行けばよいか、そういう具体的なノウハウも身に付いてきます。そうやってプロは総合的に舞台を創って行くから、ただ上手なだけではない、「実力」というものが身に付いていくのです。

私の知り合いには社会支援活動をしている人も居ますが、ビジネスとして関わっているからこそ持続が可能だ、という事をよく聞きます。アマチュアで楽しんでいるのも良い事ですが、オールアマチュア状態ではレベルはどんどん落ちて、衰退が更に加速するのではないでしょうか。琵琶の世界にも、ちょっとライブやったり、仕事貰って喜んでいるアマチュアはそれなりに居る事でしょう。そういう方々がお稽古事の世界を脱し、プロとして琵琶を生業として活動できる人がどんどん出て来ることを期待したいですね。

経済的な部分を背負うという事は、責任も大きいし精神的にも大変な事。また色々な分野の人達とも関わりながら活動をするので、そのストレスも大変なものだと思いますが、そういう切羽詰まった状況をクリアして、且つ安易な芸の切り売りをせず、創造性を発揮して行ける者だけがプロとして評価の対象になって行きます。厳しいけれどこれが現実です。喰って行くために目の前の芸を切り売りするようになったら、もうお終い。すぐに飽きられて、仕事にもお金にもならない。どんなに厳しくても苦しくても、創造性を失っったらお終いなのです!!

雅楽11-10-23_001私が優れていると思う音楽家や舞台人、特に邦楽演奏家の方々は、自分の携わるもの以外の古典の事をよく話します。源氏物語・平家物語は勿論の事、和歌にも深い見識があり、能にも歌舞伎にも雅楽にも造詣が深い。日本が生み出し育んできた偉大な芸術芸能に対し大きな尊敬を持って、旺盛な興味を持って、日々勉強をしているのでしょう。伝統音楽に関しては、古典に接しているのが楽しくてしょうがない、という位の感覚でないととても深まって行かないと思います。また皆さん書く文章も素晴らしい。
日本の文化は所作に集約される、とよく言われますが、舞台では袖から出て来るその歩き方で大体その人のレベルが見当つきますね。優れた方々は素晴らしい古典に常に触れ、深い感動を持って体全体で接しているから、姿も良いし、自分のやっている事に対しても謙虚なのだと思えてなりません。極論すると、日本文化は所作に極まるといえるでしょう。所作の持つ意味を理解できない人や、所作に日本の文化の奥深さを感じられない人は、小手先の技術以上のものは得られません。

加えてそういう尊敬できる先輩方々は皆さん、日本の古典だけでなく、広く海外の芸術にも見識が広いです。オペラでもクラシックでもジャズでもロックでも、演劇・文学・美術等々あらゆるものに常に視線が向いている。いつもお付き合い頂いている先輩達は皆そうです。自分のやっていることを本気で突き詰めて行くと、おのずとジャンル問わず優れたものに目が行くのでしょう。ある程度のレベルがあれば、むしろ自分の外側にあるものこそ、得るものがあるように思います。それは永田錦心や鶴田錦史、宮城道雄をはじめ、これまでの芸術家達の動きを見ても明らかではないでしょうか。私はそういう姿が音楽をやる者として、芸術家として自然な形だと思います。
自分の好きな事だけ詳しく知っているというのはアマチュア。興味のある所以外には価値を見ようとせず、知っているつもりになっているマニアやオタクのレベルでしかない。私はそう思っています。

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若者には是非日本のすぐれた古典に沢山接し、勉強もして、出来たら海外の素晴らしい芸術にも接していって欲しいと思っています。ただ間違えてはいけないのは、いくら
これらの見識や素養があった所で、プロとしてのスキルが無ければ、プロとしてやってはいけないのです。くどいようですが、技術・知識・素養があってもプロには成れないのです。プロとしてのスキルはそういうものの外側にあるのです。そこを自分でつかんで行って欲しいのです。

世の中には格好芸人が多いです。特にネット時代になってからはまことに多い。加えて琵琶は弾いているだけで珍しいので、すぐに「演奏家」やら「先生」などと呼ばれてしまう。とんでもないことです。あまりの知性の無さにあきれるような例が今邦楽界には溢れかえっています。こんな状況だからこそ、私は自分をしっかりと保ちたい。自分を見つめるこ事をして行きたい。志を持つ若者にも、音楽芸術に対し真摯な態度で取り組んでいただきたいと思います。

かのパットメセニーは「いつもバンドの中で一番下手なやつであれ。もしも君がその中で一番上手いなら、君のいるべき場所はそこではない」と言っています。世界の最高峰にしてこの言なのです。少しばかり弾ける、唄える程度の我々は、常に謙虚になって吾身を顧みるべきだと私は常に思っています。

富士山

夢があるのだったら、それを追いかければよい。追いかけ、実現する為には何をすべきか、自分でよく考え、実践すればよい。夢は自分から逃げては行かない。夢が遠のいて行くと思ったら、それは自分が夢から逃げているのです。
私自身も更なる精進をして行こうと思います。そして夢に向かって頑張っている人には、惜しみないエールを送りたいですね。それしか私に出来る事は無いのですから・・・・・。

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