7月は香川一朝さんが亡くなった月です。3年前の7月4日、突然のようにその知らせはやってきました。

6年前の7月3日、以前共同通信社で発行していたオーディオベーシックという雑誌の付録企画を私が担当したのですが、その付録CDのレコーディングに一朝さん、筝の小笠原沙慧さん、笛の福原百七さんに声をかけて、古典雅楽から現代邦楽まで日本音楽の変遷を辿る曲目を選びレコーディングをしました。その仕事の後、このまま終わらせるのはもったいない、という一朝さんの一声で始まったのが、邦楽アンサンブル「まろばし」でした。
翌年2009年の1月には川崎能楽堂で、ファーストコンサートをやったので、レコーディングを終えてから私はせっせと譜面を書いて、メンバーで何度も練習を繰り返したのが、昨日の事のようです。
「まろばし」では新作を上演するのが会の趣旨で、私が全ての曲の作編曲を担当していたので、あの頃は毎日譜面に向き合って、暇さえあればスコアを書いていました。
「新作をどんどん作れ」。一朝さんは常にそういって私の仕事の後押しをしてくれました。それまでも私なりにやっていましたが、今の私のスタイルを確立するには一朝さんとの出逢いが無ければ無理だったでしょう
そして一朝さんと言えばお寿司。練習でも本番でも、終わったらとにかくお寿司屋さんに直行でした。お酒も沢山頂きましたが、そんな日々を想い出すのも、時には良いものです。
仏壇を前にしていると、数々の想い出と共にあの満ちるような音色がじわりと甦ってきました。けっしてパワーでは吹かず、装飾も無い、まっすぐなけれんの無い音でした。現在尺八というと、皆判で押したように大きな音で、ムラ息をバリバリと聞かせ、何処までもダイナミックに演奏する人ばかりですが、一朝さんはそんな流行とは全く違う所に居ました。一朝さんの最大の魅力は何と言ってもPPなのです。それもウルトラPPと言ってよいほどの小さな音を安定して持続し、場に満ちるように響かせる事こそ、一朝さんのスタイルでした。「聴かせる」のではなく、「感じさせる」のが一朝さんの尺八でした。PPを安定して出せるというのは、演奏家にとっては究極の技術なのは、皆さんもお判りかと思いますが、それが出来る人はなかなか居ないのです。皆「鳴る、鳴らす」という事を誤解している人が実に多いのです。考えてみれば、私は贅沢な勉強をさせてもらっていたのですね。
一朝さんの尺八は、Viで言ったらクーレンカンプさんみたいな感じでしょうか。どこまでも音色に拘り、細部に渡って神経が行き届く、そんな演奏でしたね。大きな音でノリノリで吹きまくるようなことは決してしませんでした。
私は一朝さんと一緒に、色々な所で演奏しましたが、日本の感性や日本の美の姿をずっと教わっていたと言っても過言ではありません。あの頃は私がまだ猪突猛進の状態でしたので、判りませんでしたが、今になってみると、その美意識というものが、あらためて私の体に満ちて来るのです。一朝さんとのご縁が無ければ、私は未だにバリバリ弾きまくり、声を張り上げ吠えまくり、悦に入って表面の小手先の技術を誇るような、日本の美の姿からは程遠い所に居たでしょう。今でもまだまだ道半ばではありますが、一朝さんが私をその道にちゃんと乗せてくれたのです。

舞台は非日常の空間です。その非日常の「世界」が現れなければ、どんな舞台も舞台として成り立ちません。日常の延長線が見えて「頑張っているね」なんて言われたらプロとしてはお終いです。その先の世界を感じさせることが出来てはじめて、語り出すのです。そういう事を一朝さんは教えてくれました。
私は尺八は吹けませんし、具体的な技術は何も受け継げませんが、その美的な志や感性はしっかりと受け継ぎたい。それを音楽で表して行くのは、まだまだ私には力不足ではありますが、私なりのやり方で突き進んでいきたいのです。
来年は「まろばし」の開催が5月頃になりそうですが、もう7回目となる演奏会は、また原点に戻って一朝さんから受け継いだ美学を、私なりに舞台で表わして行きたいと思っています。
今夜は一朝さんの音に身を浸して静かなる夜を過ごしています。
