鷹の井戸

先日、いつもお世話になっている日舞の花柳面先生から声をかけて頂いて、シアターXで行われた「イェイツと能」というレクチャーに行ってきました。実に興味深い内容で色々な興味を掻き立てられました

イェイツ研究会

司会進行は能の演出家でもある笠井賢一氏。他、観世銕之丞氏、アイルランドの俳優であり演出家でもあるサラ・ジェーン・スケイフ氏が、其々イェイツの詩、能に脚本された鷹姫を語ってくれました。
私はあまりイェイツについて知っていた訳ではなく、せいぜい神秘主義に傾倒したアイルランドの作家という程度にしか認識していませんでしたが、激動の時代を生き、日本にも大いに関わりのある詩人だったのですね。イェイツが能という演劇を知り、その影響でこの「鷹の井戸」という作品を書いたという事も初めて知りました。まだまだ勉強が足りませんね~~。
その作品を今度は
能の演出家 横道萬里雄氏が中心となって能役者の観世寿夫、野村万作等当時の能の中心人物達によって新作能として改作を重ね、「鷹姫」という作品に仕上げられたもので、今回は2005年のニューヨークでの上演時の映像を見せてもらいました。

鷹姫能としてはかなり斬新な演出で、特に光の使い方が絶妙です。地平線を思わせるその光はとても印象的で、絶海の孤島のイメージを掻き立てます。地謡もコロス(石)として囃子方の前に座り、時に動きながら謡います。シテ、ワキの動きはそれほど従来のものと変わった風には思いませんでしたが、全体の新鮮さはかなりのものでした。完成度もかなり高いと思いました。

この「鷹姫」は1967年に作られましたが、面先生曰く、60年代後半から70年代にかけての日本の芸術の動きは、わくわくする程のものだったらしく、観世栄夫・寿夫・銕之丞(先代)の3兄弟は特に古典の枠を超え、旺盛に舞台を創って行ったそうです。この時代の芸術運動については、私自身興味があって色々と観ていたのですが、まだまだ知らないことが沢山有ります。幸い私の周りにはこの時代を体験し、自ら参加してきた先輩達が沢山居るので、ありがたいです。

司会の笠井氏の話も大変面白く、銕之丞氏とのやり取りでは当時の様子が垣間見られ、興味深い話を聞かせて頂きました。また銕之丞氏の謡は大変素晴らしい充実したもので、その声には、しっかりと伝承された古典と現代の創造性が見事に感じられ、実に見事なものでした。声そのものに迫力と魅力が満ちていて、聴きながら多くの事が想起されずにはいられませんでした。

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能が室町時代に成立し、これまで歴史を重ねる事が出来たのは、常に創造する事と伝承する事の両輪があったからではないでしょうか。単に過去のものをなぞっているだけでは残らなかったと思います。確かに古典を深めて行くのは大切な事。しかしそこに時代時代の感性を持って創造する姿勢が無かったら、ただの形骸化に陥ってしまいます。どんな分野でもそうですが、常に創造と継承の両輪無くして存在し続ける事はありえません。

世阿弥は「人の命は限りあれど、能の芸に限りなし」といっています。銕之丞さんも心を繋いでゆくことの大事さを語っていましたが、芸を伝承する根本は心です。その心とは、正に創造する心の事ではないでしょうか。形を守って行く事だけで満足するような浅く薄っぺらな心では、とてもその命を繋いでゆくことは出来ません。芸だけでなく、仏教でも蓮如、暁烏敏、瑩山紹瑾らが居たからこそ現代にまでその教えが続いているのです。創造する心と姿勢を失った時、どんなものでも衰退し、滅んで行くのは世の常ですね。

永田錦心2以前も書きましたが、永田錦心は錦心流大盛況だった大正時代に、もう既に錦心流の現状を嘆き、次のような言葉を琵琶新聞上に載せています。

「多くの水号者がその地位にあぐらを掻いて、自分をその教祖に祭り上げている。自分はその肥大した組織の様を見て後悔していると共 に、それをいずれ破壊するつもりだ。そして西洋音楽を取り入れた新しい琵琶楽を創造する天才が現れるのを熱望する(意訳)

西洋音楽云々という所は時代を感じる所ですが、とにかくこの気概が今は無い。心ある邦楽家、琵琶人が出て来ることを望まずにはいられませんね。

創造へと向かう姿勢を大いに鼓舞された一日でした。

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