音の姿2014春

春の気配になってきましたね。しかしながら私はどうも毎年春は体調がすぐれず、本当はのんびりと梅を愛でてぶらぶらしたいのですが、今年は既に花粉も飛び交かっていますし、この所色々なコンサートや舞台を頻繁に観に行って出歩いていたせいか、少々お疲れ気味なので、少し心と体を癒すために、何時も琵琶樂人倶楽部でお世話になっている名曲喫茶ヴィオロンに行って、たっぷりいい音を聴いてきました。すぐ近所にこういう所があるというのは良いですね。

ヴィオロン

ヴィオロンのスピーカーやアンプは全てマスターの手作り。レコードプレイヤーは知る人ぞ知るガラード。普段はLPレコードのみですが、毎月のSPコンサートではあの伝説の名器クレデンザを聞かせてくれます。ヴィオロンのシステムは、マスターが厳選する音楽に本当に良くマッチしているので、楽友協会を模したというアンティークな店内の空間に身を任せていると、ふわふわっととその豊饒な音に包まれまれていきます。古い盤が多いので、盤によっては音が歪んでしまったりするものもあるのですが、その音はあくまで自然体。けっして押し付けるような迫力サウンドではなく、とても甘く、時に目の前で演奏しているよう。今回もお勧めのレコードを色々と聞かせてくれたのですが、最後に聞いたクーレンカンプという往年の名ヴァイオリニストの盤が素晴らしかったです。曲はモーツァルトのPとViのソナタだったでしょうか、フルトベングラーがこよなく愛したと言われるその音色は、現代のヴィオリニストとは違う質を持ったものでした。

クーレンカンプクーレンカンプ
どの分野でもビッグトーン、ハイテクニック&ダイナミックというのが現代の演奏家の共通したスタイルですが、それは大きなホールなどでの演奏が主体になってきたからでしょう。Aの音も443位に上がっているものもあります。時代が移り変わる以上、時代の求める音が常に変わって行くのは必然ですが、50年前に比べるとかなり変化しているように思います。
またヴァイオリンに限らず洋楽器は、サロンからホールへと演奏する場所の変化に伴って改良されてきました。名器とされるストラディヴァリも19世紀にかなりの改造をされ、現在に伝えられています。勿論改造に失敗してしまった楽器もあったでしょうし、往年の名器でも改良に耐えられないものもあったことでしょう。時代が求める音の為には出来るだけのことをするのが西洋のやり方。1300年前の楽器そのまま、糸巻一つ変えずに使い続けている日本とは感性が随分違いますね。

さて、クーレンカンプさんの演奏ですが、音の響き方、響かせ方がとても端正で落ち着いた印象を受けました。大きく鳴らし、遠くに届く音が素晴らしいとしている現代の演奏と違い、艶やかな響きを何よりも大事にして、何処までも音色に拘りぬいたような美しい演奏が聞けました。情感がすぐ表に出て、音色よりも情が先行してしまう現代の演奏とは基本的に考え方が違うのだな、と思いました。
当時は本当に選ばれた人だけがレコーディング出来たのだと思いますので、演奏は選りすぐりの素晴らしいものだけが残っていると思いますが、昔の録音、特にSPなんかのものは、迫力という事ではなく、生々しく身に迫るものが多いのは確かなのです。やり直しが効かない一発録音だったせいもあるでしょう。秘めた静かな気迫のようなものを感じる演奏が多いですね。この日一緒に聞いたシゲティのバッハも凄かった。

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物事の良し悪しや、良いと思う感性というのはどんどん変わります。勿論良い音という概念も変わって行きます。それでも残ってきたものが古典となって行くと思いますが、忘れ去られようとしているものの中には大きな気付きをもたらしてくれるものも少なくありません。昔良いとされていたものをもう一度見つめ直すことは、今の自分の姿を自分で知るためにも大切だと思います。自分がこれだ!と思ってやってきた事を別の角度から見る事で、何故現代がこういう感性になったのか、時代はどうの方向に動いているのか、色々な事を考えさせられます。そして今自分が追い求めているものが、実は周りに振り回されているだけの見当違いである、なんてことも気付かせてくれます。邦楽だったら単に流派のやり方に囚われていたり、古典でも何でもないものを古典だ、伝統だと思い込んでいたり・・・。

       

我々は時代という大きな生き物の中に暮しています。しかしなかなか自分では時代というものを捉えることは出来ない。その中で泳がされ生きるしかないのは宿命とも言えます。常識、習慣などもその一つでしょう。そういった現実・事実に気が付くか、気が付かないか、これは芸術に携わる者にとって大変重要なポイントとなると思います。そこを乗り越えた選ばれし者だけが次の時代を作って行くとも思います。
クーレンカンプさんの演奏からは、楽器本来の音が響いてくるようで、虚飾やけれんというものを感じませんでした。その音色と演奏は、私の音楽の根本を、もう一度見つめ直す良いきっかけとなりました。

素晴らしい癒しとなった一日でした。

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