変わらないもの

琵琶樂人倶楽部第73回「薩摩琵琶三流派対決!」をやってきました。毎年恒例、琵琶制作家で演奏家でもある石田克佳さんを迎えてのこの企画ももう5回目となりました。

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今回は冬・初春等、この時期をテーマにして、石田さんが、薩摩琵琶のご祝儀曲である「蓬莱山」「門琵琶」、古澤錦城さんが小泉八雲の原作をオリジナル化した「雪女」、私が千手と重衡を描いた「朝の雨」を演奏してきました。お客様の中には、久しぶりに逢う友人も来てくれて、今年も琵琶樂人倶楽部の良い門出となりました。また打ち上げでも石田さんと久しぶりに、琵琶についての意見を交換でき、有意義な時間となりました。

こうして毎月変わらずに回を重ね、皆が集っているというのは、実にありがたい事です。世の中は刻一刻と変化して行くもの。出逢いもあれば別れもあるし、嬉しい事も悲しい事も日々沸き起こるように身の回りに立ち現れます。その変わり行く日々の中で7年に渡り73回を重ね、こうして続けていられるというのは、私の人生の中での一つの奇跡と言えるかもしれません。

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古代ギリシャにパンタレイ(万物流転)という言葉もあったあった程ですので、人も音楽も政治も平和も、全て変わらないものはないという事は世界共通の普遍原理です。人間の肉体は勿論の事、その心も愛情も移りゆくように変わるもの。諸行無常を唄う琵琶楽は正にその普遍原理を唄い説いて回っているのです。

このすべてが変わり行く世の中で、変わらないものを求めようとするのが人間。去りゆくものを追いかけ、繁栄を、若さを、愛情を・・変わらぬはずの無いものほど変わらないで欲しいと思う。それは誰しも変わり行くものをそのままに受け入れる事が、そう簡単に出来ないからなのでしょう。それがまた欲望と執着を生み出して行く・・・。そしてどうしても得られない、成就出来ない想いが詩や音楽となって行ったのだと思います。

夕陽4私は宗教や哲学に明るい訳ではないので個人的な意見でしか言えませんが、変わらないものがあるとしたら、それは最終的には宗教的な「慈愛」という事になるのでしょうか。個々の想いを超えて、あまねく注がれる愛、慈愛という大きな世界。私にはまだよく判りませんが、それはきっと変わる事のない永遠なのでしょう。芸術はその永遠を表現し、分かち合う為にこの世に創造され、いつの時代でも、どの国にあっても受け継がれて来ているのだと思います。個人の想いから発した詩や音楽も、洗練を経て昇華し、大きな世界に至るのなら、きっとそれは受け継がれ、芸術として永遠の命を得るのかもしれません。
「啄木」のように千数百年という時を超えて受け継がれ、なおかつ現代の人の心に深い感動を与える曲は、少なくとも喜怒哀楽のような人間世界の想いという所ではない、遥か遠い所に存在するように思います。作曲の時点で、もう個人の想いというものではなかったのでしょう。それにしても誰が作曲したんでしょうね??。

kouyasan01高野山常喜院にて

この万物流転の世の中で、音楽を生業として今生を生きていることは、ありがたいしか言葉が出て来ないですが、何を作り、演奏するのか、その問いかけは尽きる事がありません。楽しいエンタテイメント音楽も良いと思いますが、やっぱり私は「啄木」のような曲を作り演奏したいですね。私もやはり「変わらないもの」を求めてしまうのです。琵琶樂人倶楽部もこれからずっと続けて行きたいと思います。

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