越後路をゆくⅡ~十日町

隆泉寺出雲崎ツアーの最後には、良寛さんのお墓がある隆泉寺に向かいました。実はこの旅の前日、知人のお坊さんが隆泉寺を知っているので紹介します、と言ってくれまして、早速連絡を入れてもらって、皆でお参りし、ご住職とも色々話をさせてもらいました。
良寛さんはこの隆泉寺のすぐ隣で晩年を暮らしました。ここでは地元の方からも、地元ならではの話を聞かせていただき、良寛という人物に迫ることが出来、大変参考になりました。

丸二日間、先輩たちと良寛を追いかけ、じっくりと語り合った後、三日目には十日町に向かいました。中越は何かと呼ばれることが多く、湯沢在住だっ
たカンツォーネ歌手の故 佐藤重雄さんを通じて、六日町には毎年のように演奏に行き、十日町や塩沢の方々とも色々とお付き合いをさせて頂いてます。今年も来月、六日町の先にある雲洞庵での演奏会もあり、新潟には少なからぬ縁を感じますね。

IMGP0132集落にある神社

十日町では、脚本を書いた和久内先生所有の古民家に直行。先ずは全身を燻されながら囲炉裏に火を入れ、宴会の準備です。茅葺屋根の家に住んだことの無い私は「先生換気扇回してください」なんてことを言い、笑われてしまいました。害虫から家を守るために家中に煙を渡らせ燻蒸し、家全体を保護しているのですが、都会のマンション暮らしの私は、そんな暮らしの基本すら知らなかったのです。情けないですね~~。

この地区は車で5分もすれば街に出ることが出来るのですが、周辺一帯は正に山の中。利便性と安らぎが両立する素晴らしい環境に恵まれた地域です。豪雪地帯ですので、冬の生活は難しいかもしれませんが、こういう所に生きてこそ、良寛さんの生き様も見えるかもしれません。雪国の暮らしのことなど、何も判かっちゃいないことは重々承知の上ですが、憧れますね。

IMGP0128
少し上の集落にあった小さなお地蔵さん達

周辺にはいくつかの集落があり、大小の神社や祠があり、田んぼがあり、山があり、穏やかな時が流れて、人間が生きるにふさわしい環境が目の前に広がっていました。自然の中のこの静寂感に包まれていると、これこそが人間が生きてゆく基本だと感じさせてくれます。と同時に都会の暮らしがいかに歪んでいるかも感じてきました。

IMGP0129お地蔵さんの横にあった小さな神社
私は自分で自分らしく生きているつもりでも、火をおこす術すらろくに知らず、都会生活に毒されている。旅はこういう自分の状態を見つめなおすのには良いですね。与えられた器の中で生きようとするのは、生物の基本ではありますが、何時しか生きる基本を忘れ、揚句にはその中のルールや常識に囚われ、その小さな器の中で自分の存在位置を求めようとする。肩書き、評価、キャリア等々、どんどん着ぶくれしながら、小さな安心を求めて、本来の在り方を忘れ、本来の生きるべき場所さえも見失い、小さな世界で歪んだ姿になってゆく。

出雲崎2出雲崎

良寛さんは、生まれ育った地域に居ながらも、何も囚われずに生き抜いた。宗門からも離れ、敵視されたりしながらも、地域社会の中で皆と関わりながら自由に生きました。それは決して孤独ではなく、世捨て人でもなく、土地に根を下ろし、土地の人達と一緒に生きていたのです。そういう姿を想う度に、我が身の未熟さを思ずにはいられません。
私は良寛さんのようにはとてもいきませんね。これは創造力の問題だと思います。現代人は生きる事への創造力がかなり欠如しているのではないでしょうか。勿論私もその一人。創造力がないと、それを何か目に見えるもので補って行かないと気持ちが落ち着かない。TVもPCも携帯もあるのに、情報に刺激され、目の前の欲望に振り回され、孤独感に常にさいなまれている姿は、現代人の弱さの表れであり、精神的疾患です。自分に創造力があれば、そんなものは何も気にならないはずなのです。

もっと豊かな心で生きていたいものですね。

人間らしく生きる。自分らしく生きる。自由に生きる。これを求めずして何の人生ぞ!

色々な思いに駆られた旅でした。

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