憧憬Ⅲ

昨日、定例の琵琶樂人倶楽部をやってきました。今回は「錦心流琵琶特集」と題しまして、古澤錦城・雑賀錦鳥のお二方に演奏して頂き、私が解説と司会を担当しました。

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永田錦心については、語っても語っても語りつくせぬほどの想いがあるせいか、昨日はちょっとしゃべり過ぎたかも知れません。反省・・・。

明治という新しい時代が求め、その後の琵琶楽の道を切り開いた天才 永田錦心は、グローバル化が進むこの時代にこそ評価されるべきであり、我々がもう一度帰るべき場所であり、琵琶人の指針だと私は思っています。
上手とか、売れるとかではなく、時代を引っ張って、概念や哲学そのものを根底から覆し、新しい音楽・ジャンルを生み出してしまう。そしてそれを世の中に認めさせてしまう。これは名人だの師匠だのというレベルでは到底出来ることではありません。天才にこそ与えられた仕事なのです。

己やら、我が道やら、そういう類は個人が勝手にやれば良い事。今この衰退の極みを見ている琵琶楽にあっては、そんな器ではなく、時代を導くような視点を持ったリーダーが必要です。残念ながら私にはその器はありませんが、ぜひ現在一派を成す諸先生方には、流派や門下でなく、大きな視野と器を持って取り組んで欲しいものです。

      2012-1017-6助演の笛奏者前澤さんと共に

私はロックの聖地 高円寺に長いこと住んでいました。明日のロックスターを目指す彼らのライブも随分と聞いてきましたが、彼らは抑えても抑えても自分の内からこみ上げる想いを曲に歌に託して熱狂している。それが下手でも何でも・・・。そういう音楽と、お稽古で習った壇ノ浦や那須与一を並べたら、とても敵いません。当たり前です。
どうしようもなく込み上げてくる熱狂を音楽という形でしか表現できず、詞を書き、曲を作り、歌う。もう歌う以外にないんだ、という所までヴォルテージが上がって湧き出てきた音楽にはやはり力があります。それでこそ音楽は成り立つのではないでしょうか。

ロックと琵琶を同等に並べることが正しいとは思いません。しかし、我々の演奏を聞いている世の中の人は、そんなロックスターを夢見る人のパッションに溢れた曲も、壇ノ浦も同じ生活の中で聴くのです。果たしてどちらに心を動かされるのでしょうか??。お上手なお稽古事に心を動かされるでしょうか。

永田錦心は、明治という新しい時代に、新しいセンスを持って新しい音楽を作りました。そしてその音楽は明治の人達を熱狂させたのです。今ロックスターを夢見る若者がやろうとした事をやったのです。しかも20代でやり遂げたのです。

永田錦心の作り上げた「演奏スタイル」を継承して行く方も多いと思います。是非がんばって欲しいと思いますが、時代と共に歩み、常に次代へと向かって行った、彼の「創造性」を受け継ぐ若者も是非居て欲しいと思います。土台をしっかりと持ちながらも、その上に創造性を縦横無尽に発揮させ、次世代のスタンダードを作る。永田錦心の理念と感性を継承する若者もこれからは必要です。

聴衆を熱狂させた錦心流琵琶という音楽がかつてあったのです。この現代にも、ただお上手な琵琶ではなく、聴衆を熱狂させるような魅力溢れる琵琶楽が求められているのではないでしょうか。

熱い想いに溢れた一夜でした。

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