少し前になりますが、Met Live Viewing「ロデリンダ」を観てきました。
この作品はバロックオペラなので、ちょっといつも見ているものとは感じが違うのですが、私は元々バロック音楽が大好きなので、大満足でした。Metオケも18世紀ものの大家と呼ばれるハリー・ビケットの指揮によって素晴らしく響いていました。さすが!守備範囲が広い!!
そしてバロックオペラにはカウンターテナーが付きもの。今回もアンドレア・ショルとイェスティン・デイヴィーズという優れた歌い手が、見事なまでに歌い上げてくれました。
私は元々男性の声楽はあまり好きではなかったのですが、作曲の石井紘美先生の所で、カウンターテナーのヨッヘン・コワルスキーを聞かせてもらってから、中毒になってしまいました?。
今回はルネ・フレミングという、女王の貫録を持つような方が主役だったのですが、その女王がかすむ位、カウンターテナーの二人が素晴らしかった。二人が居なかったら成立しないだろう、と思える程でした。またセットも工夫されていて、バロックオペラの特有の小劇場風では無く、水平移動する結構凝ったセットで、しっかりと作られていたので、長すぎると言われるこの作品も飽きることなく堪能しました。きっと演出のスティーヴン・ワズワースが良いんじゃないかな?。
バロックの歌というのは、短い歌詞を何度も繰り返して歌うのですが、繰り返しがそのままではなくて、即興的に変化が付きます。映画の中のインタビューのコーナーで、ショルさんがその辺りの事に次のように答えていたのが印象的でした。
「A-B-Aというダ・カーポアリアはBにその秘密があります。Bの部分をいかに表現するかで、もう一度Aに戻った時の聴衆の感じ方がずっと深くなり、その時に付ける装飾いかんで、単なる繰り返しではなくなるのです」この言葉とおり、私には流れのある一つの曲のように聞こえました。「ハハハハハハハ」というあの装飾もなかなか面白いんですよ。
バロックといっても、ただ当時のものを再現してるだけでは、舞台として成立しません。バロックの魅力と、現代という時代の両輪をどう回すか。そこにMetの芸術性があり、また問われているのだと思うのです。Met流のバロックの在り方には、色々な意見があると思います。ルネフレミングやヴェルディ歌いとしても有名なエドゥイージェ役のステファニー・ブライスに違和感があるという方も居るでしょう。しかしこうして変わって行く姿こそ、現代に生きる我々が見るべきものだと思っています。
邦楽は正に今、その両輪をどう動かすべきか問われています。私がいつも書いているように、現在の薩摩・筑前の琵琶は、その成立と同時代のシェーンベルクやバルトークが現代音楽の元祖と言われている位ですから、古典というにはあまりに若すぎる。では、琵琶楽の源流をどこに見て捉えるのか、器を試されています。日本が世界の様々な情勢の中で生きている以上、仲間内にしか通用しない常識を声高に主張していても、世の中の人は誰も聞いてくれません。痩せて行くだけです。
平安時代に成立した楽琵琶、鎌倉時代は平家琵琶、近代の薩摩琵琶、明治に永田錦心が作り上げた新しい琵琶楽。こういう千数百年に渡る深く長い歴史が残して行ったものは素晴らしい。だからこそ今、これらの軌跡を確実に捉え、しっかりとした史観と共に、現代という車輪都合わせて走り出さなければ、琵琶楽の輝きは失せてしまう。あれだけ人を惹きつけるオペラですら、ブーレーズに言わせれば「オペラは死に続けている」との事ですから・・・・。
Metのバロックへの眼差し、そして志向する舞台は素晴らしいと思いました。同時に琵琶楽の在り方にも想いが広がりました。