滋賀の常慶寺での法要&演奏会の写真が来ました。法要の時は直垂を着て烏帽子をつけていたのですが、その後の演奏会ではREFLECTIONSの定番衣装、白いドレスシャツ姿で演奏しました。この白シャツ、実はファンの方から我々コンビにプレゼントされたものなのです。それ以来いつもこのスタイル。大浦さんは腰に大きなストールを巻いているので、私も今後はベストなんぞを着てみようかと思ってます。
先日のブログでは色々な人からお話を頂きました。日本文化の根幹をどこに観るか。それは日本音楽に携わる人間としては大きな問題だと思います。
チェリストの堤剛さんは「音楽家は史観をしっかりと持つべき」とおっしゃっていましたが、自分の専門とする所だけでなく、自分を取り巻く大きな流れ、歴史にも注目して行きたいと、私は思います。
最近、邦楽家の間で「平均律、純正律、モード、和音」など、そういう言葉を良く意味も判らずに雰囲気だけで使っている例を目にしますが、あまりに情けないです。結局洋楽コンプレックスの塊のようにしか見えません。
洋楽を勉強したから、邦楽がだめになったのか?全くそんなことは無いのです。とある知り合いが「色々な食材や料理が日本に入り、世界各国の料理を食べられるようになったけれど、しっかり和食は基本として残った」と書いていましたが、私もそう思います。
高野山
外から入ってきたものを消化、昇華して、新たなものを作り出す、このエネルギーと変遷してゆく過程こそ文化というのです。社会が変わることに伴って、形も質も変わって行く、それこそが文化なのです。
日本という国は、新しいものが入っても、どうにかそれまでのものと共存して、宗教に於いては神仏集合という独特の形を作り、中世前後にはそこから新たな形や文化も創り出してしまう。こういう国は世界でもめずらしい。ちなみに熊野~高野山が世界遺産になった理由は、神道と仏教という事なる宗教が共存している事が世界的に観て極めて珍しい、という理由なのです。
宮内庁楽部
雅楽を例にしてみても良く判ります。雅楽を知らずに「あれは大陸の音であって日本のものではない」などと知ったかぶりをして決めつける人が居ますが、大きな間違いです。
仏教と共に大陸から輸入された雅楽は、日本の中で日本独自のシステムに作り変えられ、新作も作曲され、日本各地にそれまであった歌を雅楽アレンジにして中に取り入れ、雅楽の中に歌のジャンルも作りました。このようにして日本の雅楽は作り上げられて行ったのです。つまり雅楽は今、日本の音楽であって、大陸の音楽のコピーではないのです。
それはアルゼンチンで生まれたタンゴが、ヨーロッパでコンチネンタルタンゴになったのと同じ事。ジャズもロックもしかり。ただ過去と分断された現代の日本人だけがそれを認めようとしないのです。
文化は常に作られてゆきます。元々日本のものでもない仏教の概念が、鎌倉新仏教という革命を受けて、次の中世には日本文化の屋台骨となって行くように、色々なものが出会い、そして新たなものが出来あがり、それが伝統になって行くのです。
今、邦楽人で洋楽だの、五線譜だの、平均律だのと騒ぎ立てているのは、そういうものを受け入れられない人たちです。鎌倉新仏教の開祖たちも、永田錦心も、そうした新しいものを受け入れることのできない旧勢力に散々圧力をかけられました。
洋楽だけでなく、もっといろいろなものがこれから入ってくるでしょう。でもそれは時を経て、永田錦心や宮城道雄によって新時代の「邦楽」が生み出されたように、次の日本の伝統を生み出して行く事でしょう。私達は日本という国に生き、現代という時間を生きている。今その現場に立たされているのです。
さあ、どこに向かいますか。