先日、滋賀の湖東(琵琶湖の東側)にある常慶寺にて、親鸞聖人七百五十回御遠忌の法要に雅楽の楽人として直垂姿で演奏してきました。
50年に一度の法要ということで、もう二度と出来ない貴重な体験でした。上の写真は京都の時のもの。まだ写真が来ていないので、届いたら随時UPします。
滋賀は集落ごとにお寺があって、集落の人々がお寺を皆で支え守っている環境が今でも色濃く残っています。高野山のような山の上に居るプロの僧侶という感じではなく、こちらのご住職は地域の人と一緒に暮らしている。集落はお寺を中心に寄り添って、集い、日々の出来事を語り合い暮らしている。そんな集落の人たちは皆素朴で淡々と、しかし着実に地に足をつけて生きている感じがしました。その姿に触れていると、都会に住む自分がとてもうわっついた風にも感じられました。
常慶寺
人間は大きな範囲では生きられない、と私は思っています。世界中飛び回って仕事しても、やはり自分の地元と言えるのは限られた範囲しかない。その地元で淡々と日々の暮らしを全うすることが当たり前な生き方なのですが、私のような都会に住んでいる者は、その所をいつしか忘れてしまう。世界中の食べ物が食べられ、世界中の情報を目にする事が凄い事、といつしか思わされて、自分でも判らない内に本当の暮らしというものを見失っている気がします。法要とその後の演奏会を通して、今回は色々な事を感じました。
時代は変わります。文化も常に創造されてゆくものだと、私は思っています。変遷して行く姿こそが文化だと思っています。だから邦楽が変化して行くのは大賛成です。「これでなくては邦楽ではない」などと言う人もいますが、ドレミが入ろうが、平均律が入ろうが、そうした外側のものを、有史以来どんどんと取り入れて今の日本があります。大陸から渡来人が来て、農業が始まり、国家システムが変わり、仏教が入ってきて、雅楽が入ってきて・・・・。どんどんと入ってきて、それらを昇華して日本の文化にしてしまったのです。それは現代でも刻々と変化しているのです。日本は外来のものを取りれて、自国のものと混ぜ合わせて、新しい文化にしてしまう天才かもしれません。
だからある一部分、一時代をとってこれが日本の音楽だなどという事は出来ません。日の丸をさして軍国主義だというのと同じです。「これが日本の文化であって、これは違う」という意見をよく耳にしますが、どの時代の事をさして日本のものと言っているか判りません。平安時代の国風化した雅楽?鎌倉仏教や平家琵琶?室町の能や茶道?江戸時代の歌舞伎?明治の薩摩琵琶や筑前琵琶?明清楽?美空ひばり?どれでしょう???私には全てが日本文化であり、その変遷の過程こそが日本の文化であると思えて仕方が無いのです。
そんな変遷し続ける文化と、変わらずに受け継がれる土地そして生活。どの時代の人々もその両面を抱えながら生きています。
時の流れの中にしか生きられない我々は、常に自分の生きるべき土地に根を張り、その時々に沸き起こるものを見極めながら時代と対峙して行かなければなりません。蘊蓄や理屈を口にする私のような都会人は、自分が着実に日々を生きていないから、常にそういうものに頼っているのかもしれません。生きるべき土地に着実に生きていれば、そんな理屈を口にしなくても時代を受け入れ、日々を受け入れ、喜びに満ちた毎日を過ごせるのでしょう。
琵琶湖と竹生島
このツアーでは、人間が人間らしく土地に生き、時の中で気負いなく日々を過ごしている集落の方々姿に触れ、とても心温まり自分を顧みました。時代の変遷の中で、自分に与えられた土地に暮らし、与えられたものを敬意を持って継承して行く。これがまともな生き方なのだと感じました。
人間だれしも日々の暮らしの中には迷いも間違いもある事でしょう。しかしそうした色々な事に囲まれた人間の営みの中で、長い時間継承されてきたものには何か意味がある。意味があるからこそ伝えられてきたのです。そして廃れてゆくものは、その役目を終えたものなのでしょう。「邦楽」はどうなのでしょうか・・・。
私の進むべき道がまた一つ見えてきました。