花粉もようやく収まり、やわらかい春の陽気に包まれて、やっと動き出し始めました。今年のオフシーズンは例年になく色々と考え、多くのアイデアが生まれました。
2012台湾
私はすぐに調子に乗り、奢り、失敗をする。そういう人間です。それを未だ繰り返していますが、失敗する都度、周りに居る心深き、広き人々が私を諭し、反省を促し、次の階段へと後押ししてくれました。昨年も数多くの失敗しました。
そんな私でも、今後の自分の方向性がそれなりに見えている気になっていました。しかしどこかで今一つすっきりしなかった。言葉では色々と書けるものの、心がどこか追いつかなかった。そこでこのオフシーズンに、そのすっきりしない心の元を辿ってみました。
私は本来考える必要も無い目の前のことに囚われて、自分の中のエゴや意地を自分自ら増長させて、それらに振り回されていました。色々な良き仲間達との語らいに導かれ、遅まきながらここに来てそれにやっと気づき、霧が少しずつ晴れてきました。
新たな気持ちで4月からの演奏会をやっていきたいと思います。
田端明先生という方をご存じでしょうか。ハンセン病回復者で、色々と著作を発表している方です。ハンセン病は医学的に伝染しないものと判っても、法律で隔離政策がとられ、患者達は死んでも遺骨は墓にも入れてもらえず、生きていても死んだことにされ、人生を否定されるような、それはそれは壮絶な生活を強いられてきました。小泉政権の時にやっとその法律が無くなりましたが、未だに偏見は残り、続いています。
私は田端先生が書いた文章を、ことあるごとに読み返してます。先生は短歌なども書く方で、別に文章が上手なわけではないですが、その想い、心が身に滲みてくるのです。
先生は21才で瀬戸内海の長島にあるハンセン病施設愛生園に入り、5年後に失明したそうです。私が書くより、是非先生の文章を読んで頂きたい。色々あるのですが、先ずはこの言葉を。
「命は預かっているもの。頂いたものでも、授かったものでもありません」「生きることを許され、生かされている命」と言っています。お寺なんかで何度も聞き、自分でも何度も書いているこの言葉が、先生の文章によって、やっとストンとこの身に落ちてきました。ご興味のある方は先生の名前で検索をかけてみてください。
私は、先生の文章を読む度に涙が流れます。でも私は今まで何度も何度もこの文章を読んで、涙を流してきたのに、ろくに判っていなかった。先生は自分の辛い人生を吐露しているのではない。人間のあり方を綴っているのです。今でも判ったつもりはないですが、最近になってやっと、これを読んで自分の姿がまざまざと見えてきました。自分がどんな生き方をしてきたか、自分のエゴで自分自身がいかに振り回され、時に周りを傷つけ、深い業の中にいたのか見えてきました。
神妙な事を書きましたが、別に出家したわけでも、悟ったわけでも何でもありません。ただ自分の姿が見えてきたのです。良いところも悪いところも・・。
これからも音楽的芸術的な指向は何一つ変わりません。むしろもっと先鋭的になるかも・・。やると思ったことはどんどんやっていきますが、今は心の霧が晴れ、解放された気分になりました。
これからがまた楽しみになりました。