音の姿Ⅲ

この所晴天が続き、春らしくなってきました。同時に花粉もかなり飛ぶようになり、私は引きこもり状態になってますが、先日、台湾の友人からは桜の便りが届き、ゆるゆると和みました。

   台湾桜2012-3-2台湾桜2012-3-1

日中、ぬくぬくと逍遙しながら、相変わらずの日々ですが、最近は特にクラシックをよく聴いています。
最近のお気に入りはこれ。オーギュスタン・デュメイとマリア・ジョアオ・ピリスのデュオ。音が出た瞬間から、なんだか音がキラキラと煌めいているのです。音楽の喜びを全身に感じて、二人とも笑顔に溢れている情景が見えるんですよ。
CDを貸してくれた方にそんな印象を伝えると、「二人は共演をきっかけに、あまりの相性の良さに感じ入り結婚したとのこと」あの喜びに満ちた煌めきは愛情でもあったんですね。こんなにも音に現れるとは驚きです。


そしてこちら百万ドルトリオといわれた、ハイフェッツ、ルービンシュタイン、フォイアマンによる演奏です。音がとても品良くブレンドされていて、ふくよかで、豊かな音楽が響き渡ります。ただ名人が集まったというだけではありません。上のお二人のような煌めきとはまた違い、実に落ち着いていてエレガント。これぞヨーロッパの文化という感じです。

演奏家はその考え方一つで、全く違った音楽を奏でます。アート指向の方、ショウビジネス指向の方、指導者としての意識の高い方、それぞれの音楽があります。
私は自分の思う音楽を演奏する方が先なので、どうしてもショウビジネスとは遠くなって行きます。しかし生来のおしゃべりのお陰で、私のMCがそこそこ面白いらしく、舞台でも何とかこの顔と姿でやりくりつけています。
        
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私は20歳頃ナイトクラブのバンドマンを数年やっていました。1日4ステージ、スタンダードジャズを演奏するのですが、これはただの食べて行くための音楽でした。確かに色々勉強になりましたが、私は「喰っていく」ために意にそぐわない音楽をやるのは無理なようです。また「喰っていくため」の芸として音楽を捉えることも無理なようです。プロとして、生活できるだけのお金を稼げないようでは、半人前なのは重々判っていますが、たとえ食べていけなくとも自分の音楽はどこまでも純粋でありたいのです。高橋竹山なんかからすれば、甘ったれもいいところだと見えるかもしれません。しかし音楽で収入を得ていても、私が「喰っていくため」に音楽を選択することは、あり得ないのです。

上記のCDを貸してくれた方は、私の少年時代をよく知る方で、私の1stアルバム「orientaleyes」を聴いて「あの頃の君のまま、同じ姿をしていて迷いが無い」と言ってくれましたが、自分の思う道を進んでいる時には迷いなどありようがないのですね。あのCDから10年経って、またこれからも自分の姿のまま、自分の思う音楽をやっていきたいものです。

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桜は何の作為もなく、変な思い入れもなく、ただあるがままに咲き、そして散って行く。私も素直な自分のありのままで咲き、そして散って行きたいものです。

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