まだまだ寒い日が続きますね。この間のブログで、「ただいま作曲中」と書いたら、早速友人達から「曲は出来たか」という突っ込みを頂いたのですが、残念ながらまだ出来てません。そう簡単には出来ないのですよ。
春まだ遠い源光庵(今月の写真)京都御所の白梅(今月)
では何をやっているかというと、作曲はもちろんなのですが、毎日のように色んな人と会って、お茶しながら「語らい」(おしゃべり、といった方が良いか?)をして、演奏会や映画、演劇、美術家の個展などに通っています。世間では、こういうのを「遊んでる」というのだろうな~~。
ここ2週間ほどで、琵琶人はもちろんですが、陶芸家、クラシックの音楽家、邦楽家、舞踊家、ジャズマニア、美術作家etc.と「語らい」してます。皆それぞれの視点を持っているから大変面白い。毎年2月の半ばから4月の半ば過ぎは私のオフシーズン。ここ10年、この期間はいつも花見と「語らい」(やっぱり、おしゃべりの方が合っている気がする)をして、曲作りの糧としているのです。
京都御所の白梅(先月)
更に、私は作曲で譜面を書く時にはほとんど楽器に触らないので、この時期は琵琶も手にしません。お手入れするだけ。そういう時期があるからこそ、また新鮮な気持ちで演奏会シーズンに入って行けるのです。
私の場合、音楽活動に関して言うと、集中して取り組む時期と、全く音楽に関わらない時期の両方を持つ事がとても大事だと思っています。20才の頃プロのギタリストとなる門出に、ギターの潮先先生が「音楽とは全く関係ない趣味を持ちなさい」とアドヴァイスをくれたのですが、その意味が今になって実によく判ります。
今月の悟りの窓と迷いの窓
私のような人間は、琵琶に熱中しているだけでは、周りも自分も見えなくなるのです。琵琶は珍しいだけに、活動していると常に多くの人が寄ってきて、皆自分の方を向いていてくれるような錯覚に陥ります。でもしばらくそんな状態が続くと、ライブやって満足している自分に気づきます。転々と色々な所に出向いているものの、本当の意味で活動は広がっていないし、音楽的にも自分の世界に浸っているだけで、全然創造性に満ちていない。これではいけないのです。琵琶だろうが何だろうが、現実社会の中で存在しているのだから、その中にあって自分がどんな存在か、自分の音楽はどういうものなのかよく判っていなくてはいけない。以前はネットでコメントなどを頂いたりすると、「自分はそこそこ活動している」なんて具合に錯覚していたものです。それが判らないで喜んでいるうちはただのお稽古事。いつまで経っても生業には成りません。
今月の悟りの窓
私は音楽に全く関係ない趣味を持っているわけではないのですが、美術系の方や他ジャンルの音楽家との「語らい」、海外の友人達とのメールのやり取りは、私を琵琶の世界から遠くへ連れて行ってくれます。特に先日書いた「仲間」と思えるような人達は、話せば話すほどに自分の目が開いて行くようで、実に楽しい。大切な存在です。最近はずいぶんとギターも弾くようになったし、一日中ジャズを聴いていて、琵琶をすっかり忘れていることもしばしば。これがあるからこそ作品が生まれるのです。
今日も明日も「語らい」は続くのです。私が音楽家である限り。