「ほど」にする凄さ

沼袋のシルクラブにで行われた柳亭市馬さんの独演会に行ってきました。

市馬

私は仕事では時々落語家さんとご一緒するのですが、自分で落語会に行くことがほとんど無いのです。今回は仲間の花柳面萌さんのお誘いに乗って行ってきました。

とにかく一言「品がある」これほどに品格のある落語を聞いたのは久しぶりですね。私は落語通でも何でもないですが、TVなどで見てもとにかく過剰な表現をする方が多い。それはその場では笑いも取れるし、ウケが良いかも知れませんが、それでは品格が失せてしまう。舞台というのはどんな分野でも表現の場であるのは確かです。しかし等身大の技でもって、尚且つほどよい抑制があるからこそ表現は伝わり、はじめて舞台として成り立つものです。ウケるというのと表現するのは違うものだと思うのです。

市馬さんは、その「ほど」の良さがある。だから姿がいい。声も良い。そして何といっても語り口が穏やかで自然。派手なしゃべりや動きで笑いを取るのでは無く、あくまで話の中身で聞き手をつかむ。その上色々なものに素養があるのを感じました。特に歌関係がお好きなようで、謡曲、浪曲、新内などなど身についているものが無理なく出てきます。いや~良い芸をお持ちです。大変感心しました。

椿1         

photo MORI Osamu

品の良さとは何か、これはなかなか言葉で言うのは難しい。綺麗に着飾っていても品の悪い人も居るし、ジーパン履いて居ても品の良い人は良い。品格はどうしても、そこに居るだけで姿に出てしまいます。綺麗とか美人とかイケメンとかそういうことでは無く、佇まいといえば良いでしょうか。近頃は姿のよろしくない人を見かけることが多くなりましたね・・・・。

先ずは良い姿をしていること。そしてその人の等身大から無理なく出て来るものが、技を通して舞台に乗ると、素晴らしい空間が生まれてくるのだと思います。

ただ舞台人として気をつけなくてはけないのは、舞台というものは常に非日常の場であるということ。日常が見えるようではただの素人です。だから等身大という事を誤解してはいけません。舞台に於いて「自然」とは、普段通りということではないのです。
かといって無理して過剰な表現をして芸人ぶっていたり、上品ぶってもいけません。身についているものが自然に出て来るので、その人以上にはならないのです。

上手く書けませんが、その辺のバランスを持った人だけが舞台に立つ事が出来、舞台人として生きていけるのです。自分の芸を聞いてくれる人が居るだけでいい、なんて自分を甘やかして日々の食い扶持だけ追っかけているようでは、とても続きません。常に上を向いて創造して行く事が出来なければ、舞台には立てないのです。そして、そこに「ほど」の感性が宿った人だけが一流になるんだな、と市馬さんの落語を聞いていて思いました。 

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幸いにして私の周りには姿が良い人がいっぱいいます。私も是非そうでありたいものです。


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