昨日、福島県立美術館にて、「鎮魂~平家物語弾き語り」と題した演奏会をやって来ました。昨年米沢の置賜文化ホールでの公演を聞いてくれた福島県立美術館の学芸員の方から、震災後に声をかけて頂いて、今回の演奏会が実現しました。
リハ時
最初は福島がどんな状態なのかよく判らなかったので、お話を頂いたときには心配しましたが、行ってみると市内には震災の影はなく、一見外観上は何も感じませんでした。しかし、色々な面で影響はやはり有り、極端な面しか報道しないTVにいかに東京の人間が振り回されているか、よく判りました。
会場は美術館の250席ほどの講堂でしたが、立ち見が出るほどのお客様で、ちょっとびっくり。また皆さんの音楽を聴こうとする熱気や集中力がひしひしと感じられ、演目の「経正」も短いものを用意していったにも関わらず、皆さんの熱気につられ、フルサイズで弾き語ってきました。エンタテイメントの音楽家もずいぶんと福島に来てくれたようですが、「今こそ琵琶のような、じっくりと心に響く音楽が必要」と言う学芸員さんの言葉がとても印象深く、お客様の姿を見ていても実感しました。
そして、実は今回、もう一つの鎮魂があったのです。
福島へ出発する前夜、本当にお世話になった先輩、カンツォーネ歌手 佐藤重雄さんの訃報の知らせを受けたのです。
特に病気しているわけでもなく、年齢も未だ50代の半ば。カンツォーネ歌手らしい立派な体躯で、飲みっぷりも歌いっぷりも豪快な方だけに、訃報など全く予想していませんでした。
佐藤さんとはもう15、6年前、高円寺の中華屋さんで知り合ってから、数え切れないほど色んな所にご一緒して、お酒を飲み、散々お世話になってきました。これほど濃い付き合いをしてきた先輩も珍しいと言うほどに、色々な面でお付き合いしてきました。その佐藤さんのご実家が今回の演奏会場の近くで、通夜、葬儀共にそのご実家でやるのです。なんだか私は佐藤さんに呼ばれて福島に行ったみたいな感じがしてなりません。あまりのタイミングに驚くばかりです。演奏会が終わってからタクシー飛ばして、ご実家に行って対面してきましたが、未だ全く実感が沸いてこないのです。
この写真は2004年に佐藤さんのファーストアルバムの発売記念ライブの時のもの。青山マンダラでのライブでしたが、私はこの後の佐藤さんのCDには全て参加してきました。
これらのCDには本当に様々な想い出があり、キングレコードのスタジオでレコーディングしている時の佐藤さんの声も笑顔も、あまりに生々しく私の中に残っています。嫌な思い出の全くない方でもありました。なんだかそのうちに「ごめんごめん」なんて電話がありそうな感じがするんです。
おととい訃報を聞いた夜、佐藤さんと呑んでいる夢を見ました。「2,3日酒控えて、おかゆでも食べてれば、死ぬことはないですよ」と私が言ったら、奥様と一緒になってケラケラ笑ってました。あれが、さよならの挨拶だったのかな?
本当に太く短く、豪快に生ききった方でした。きっと美術館の演奏会も聞きに来てくれたことでしょう。なんだか「行ってくるよ」という、あの豪快な声がカンツォーネに乗って聞こえてきそうな感じがします。そんなさわやかで純粋な先輩でした。
私の演奏が、佐藤さんはじめ色々な方々の鎮魂となったのかどうかは判りませんが、残された者として、しっかりと生きなくては・・。私らしく、ばっちりとやらせて頂きますよ。